まにあうかもしれない
2006年 03月 01日
自分もよびかけたメンバーのひとりなのだが、中学校の同窓会の開催を決めて、みんなに連絡をとりはじめてからというもの、連日異様な盛り上がりである。ほとんどが30年以上もあっていない友人たち同士なのだが、電話やEメールがとびかっている。今日も同級生発見の報が2件飛び込んできた。1件は同じ野球部の仲間で元アイドル歌手、もう1件は僕が好きだった女子。当ブログの「断片的自伝的」にで、この話題にふれているのだが、曲をつくってテープに吹き込んで誕生日にプレゼントした娘である。顛末を書いていなかったのだが、プレゼントは突っ返されたのである。だからテープはおそらく、こんもん要らんわい!とばかりに捨てたものと思っていた。ところがなんと同窓会騒動で出てきたのである。野球部でバッテリーを組んでおり、バンドもやっていたS君が持っていた。「あいつのテープ知らんか」と友人TがSに聞くと、「ああ電話の前にあるよ」やて・・・・。何度も引っ越しているSなのに、である。というわけで、30年以上前の自分自身の熱演を聞くことになった。もちろん死ぬほど恥ずかしかったのであるが、そのテープに一曲だけ、オリジナルでないものがあった。それが、よしだたくろうの曲だった。意外だった。僕は、よしだたくろうを過去に好きだったという鮮明な記憶がない。それどころか、なんか要するに、たくろうなんて歌謡曲なんだ、演歌なんだという感覚が強かった。その僕が30年前に歌っていた曲は、「まにあうかもしれない」だった。以来この曲が頭から離れず、どうしても唄ってみたくなったので、CDを買った。それが「元気です」。そういえば・・・と、中学時代、友人のKから、泉谷しげるの「春夏秋冬」と、この「元気です」を長期にわたって借りていたのを思い出した。
いいアルバムじゃないか。「まにあうかもしれない」の他に、「春だったね」、「せんこう花火」、「たどり着いたらいつも雨降り」、「高円寺」、「こっちを向いてくれ」はとてもいい。やっぱり「旅の宿」などの歌謡曲調は今でもだめだけど。
同窓会活動が、30年前のよしだたくろうを唄っていた僕を蘇えらせ、今、またギターを弾いて唄っている。この歌詞が、またオヤジ心に沁みるんだ。おもしろいな。
僕は僕なりに自由に振るまってきたし
僕なりに生きてきたと思う
だけど、だけど 理由もなく
めいった気分になるのはなぜだろう
思ってる事とやってる事の
違うことへのいらだちだったのか
だから僕は自由さをとりもどそうと
自分を軽蔑して、自分を追いこんで
なんだか自由になったように
意気がっていたのかも知れないんだ
まにあうかもしれない今なら
今の自分を捨てるのは今なんだ
いいアルバムじゃないか。「まにあうかもしれない」の他に、「春だったね」、「せんこう花火」、「たどり着いたらいつも雨降り」、「高円寺」、「こっちを向いてくれ」はとてもいい。やっぱり「旅の宿」などの歌謡曲調は今でもだめだけど。
同窓会活動が、30年前のよしだたくろうを唄っていた僕を蘇えらせ、今、またギターを弾いて唄っている。この歌詞が、またオヤジ心に沁みるんだ。おもしろいな。
僕は僕なりに自由に振るまってきたし
僕なりに生きてきたと思う
だけど、だけど 理由もなく
めいった気分になるのはなぜだろう
思ってる事とやってる事の
違うことへのいらだちだったのか
だから僕は自由さをとりもどそうと
自分を軽蔑して、自分を追いこんで
なんだか自由になったように
意気がっていたのかも知れないんだ
まにあうかもしれない今なら
今の自分を捨てるのは今なんだ
by mihira-ryosei
| 2006-03-01 00:29
| 映画・音楽