なぜチャンジョリム(牛肉の醤油煮)をつくるのか?
2006年 08月 15日
「チャンジョリム」という衝動は、どのようなときに生まれるのだろう。ぶっきらぼうな、ただただ醤油辛いこの韓国料理を、「食べたい、つくりたい」と思うのはどういうことなのか。そんなことを考えながら、生協でいつものところにある、なじみはあるが、めったに手を出さない牛モモブロックのパックを見つめていた。
そして三時間後、食卓にそれはあった。薩摩焼・先代の沈寿官の皿に当然のごとく、盛られている。
あまりにも簡単にできてしまう。これでは手間隙をかけた料理を冒涜するものであろう。しかも、美味いのだから罪である。途中でなんどもつまみ食いするという欲望を抑止できない。
チョンジョリム。料理の上手な母と違って、料理が下手な祖母の得意料理であった。たまにつくりおきしてあるのだが、裏の冷蔵庫に隠匿してあり、なかなか食べさせてもらえなかったのを覚えている。
ウズラの卵、半額割引だったので、二ケース買い求めた。これをゆでる。肉をさいころステーキの半分ぐらいのサイズに切り刻む。よいブリスケ、すね肉が手に入れば、塊で煮てもいいのだ。繊維にそってピーッと裂いて、粉唐辛子をつけて食べても美味い。
ニンニク十数粒、皮をむく。普通の青唐辛子がなかったので、伏見甘長唐辛子で代用。鍋に肉とニンニクと唐辛子、ウズラのゆで卵を放り込む。醤油をどぼどぼ注ぐ。こんなに野放図に醤油を入れていいものかという不安と闘いながら。気の弱い人は、ここで水を足してもいいですよ。お酒を入れてもいいですよ。みりんをいれてもいいですよ。本当は肉だけ煮て、茹でこぼしてから、「正規の手続き」をへてつくるという話もあるのだが、めんどうくさい。だから、どぼどぼ注ぎ込まれた醤油もアクといっしょに退場させられてしまうことになる。弱火で煮ればいい。その間、つまみ食いしない強靭な意志をもつ人がいれば、宮内庁から園遊会に招待されるであろう。
肉を喰らい、汁をご飯にかけながら食べる。この幸福感を安易に与えることができるゆえに、チャンジョリムは、韓国において独自の地位を占める。
by mihira-ryosei
| 2006-08-15 01:05
| キッチン