オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ:本( 26 )

 
e0065380_1281569.jpg

 ハルバースタムの最後の大著である。勝者と呼ぶべきものが浮かばない朝鮮戦争という不可思議な大戦争をめぐって、さまざまな考察がなされている。僕がページを折った箇所だけで、新書ぐらいにはなるかも知れない。

第53章 遙かなり朝鮮半島
 すべての戦争はなんらかの意味で誤算の産物かもしれない。だが朝鮮では戦争当事者双方の重要な決定のほとんどすべてが誤算に基づいていた。まずアメリカが防衛範囲から朝鮮半島を外し、これがさまざまな共産側当事者の行動を誘発した。ついでソ連が金日成の南への進行に青信号を出した。アメリカの参戦はないと確信したのである。アメリカは参戦した。そのときアメリカは、立ち向かう相手の北朝鮮軍の能力をひどく過小評価する一方、初めて戦闘に赴くアメリカ軍部隊の準備体制を法外なまでに過大評価していた。アメリカ軍は後に、度重なる警告に注意を払わず、38度線の北に進撃する決定を下した。
 
e0065380_1295052.jpg
それからこの戦争における単一では最大のアメリカの誤算があった。マッカーサーが中国軍は参戦しないと確信したがゆえに、はるか鴨緑江まで進撃することを決め、自らの部隊をこのうえなく無防備な状態にさらしたのである。そして最後は毛沢東だった。かれは兵士の政治的純粋さと革命精神がアメリカ軍の兵器の優位(そしてその腐敗した資本主義的精神)よりもずっと重要であると信じ、そのために朝鮮北部での緒戦の大勝利の後、部隊をあまりにも南下させすぎ、その過程で恐るべき損害を出した。
 しばらくの間、望むものを手にしたのはスターリンただ一人だったかのように思われた。スターリンは毛沢東のチトー化と中国がアメリカと手を結ぶ可能性とを恐れ、中国がアメリカと闘う決意をしたことに少なからず満足だった。しかし冷血で計算高いスターリンでさえ、何回か誤算を犯した。かれは最初、アメリカの参戦はないと考えていたが、アメリカは参戦したのである。ソ連の傍観するなかでアメリカが中国と戦うことにスターリンは当初、不満ではなかったかもしれないが、ソ連にとっての長期的な結果は、実のところ複雑きわまりないものであることが判明する。致命的なまでに重要な初期の数か月間にスターリンがしてくれなかったことについて、中国は恨みを抱きつづける。そしてこうした怒りの感情が数年後の中ソ決裂の要因になったのである。しかし、おそらくそれ以上に重要なのは、中国の参戦がアメリカの国歌安全保障問題に対する見方に深甚かつ永続的な影響を与えたことだった。・・・・アメリカを以前よりはるかに安全保障志向の強い国家に変身させたのである。・・・アメリカ政治も毒され、そこでの一大懸念は―――地政学的な理由ではなく、国内の政治的な理由によって―――この国は共産主義者に奪われるのではないか、ということになった。そのために、アメリカのアジア政策は深い傷を負い、当時のレーダースクリーンにはほとんど映ることのなかった国、ベトナムへの政策に深刻な影響をおよぼす結果になる。
e0065380_1302417.jpg
 もちろん金日成も誤算をした。アメリカが韓国を守るために部隊を派遣することはないと判断したばかりか、自分自身の声望とその革命をめぐる神話のゆえに、北の部隊が南に乗りこめば、南部の20万の農民が一致団結して立ち上がると確信していた。金日成は国を統一できなかったばかりではない。アメリカに韓国の重要度を格上げさせたのである。アメリカは軍事的に韓国を守るだけでなく、戦後の時期に財政的に成長を支援し、北朝鮮を足元にも寄せつけないような、生存力あふれる韓国社会を育てた。戦争終結から50年たつが、韓国にはいまもアメリカ軍が駐留している。そして韓国は発展途上国の経済指針ともいうべきものになり、1980年代末にはその経済がソ連自体をはるかに上回る活力を具えるにいたった。それに対して北朝鮮は、相変わらず悲惨で冷酷な取り残された場所であり、全体主義と経済的貧困、そして外国嫌いのままである。

 指導者、政府が犯した誤算、誤解により、朝鮮半島の人々、アメリカ人、中国人が、無駄に犠牲になった。そしてそのことは戦後にもそれぞれの国に影響を与えた。韓国についても、ハルバースタムのいうようないい話ばかりではない。戦後長らく、反共を「錦の御旗」として、軍事独裁政権が続いたし、日帝の植民地支配と朝鮮戦争による分断固定化と光州事件のような悲劇を生み、ベトナム戦争にも参戦した軍事独裁、それぞれの深い傷跡、爪痕から、韓国はまだ自由ではない。

 戦争は、ある面で、もっと合理的なものだと思っていた。しかし、アメリカも、中国も、北朝鮮も、それぞれ内政問題や権力闘争などが、戦争遂行に非常に大きな影響を及ぼしており、信じがたい不合理さのただなかで、またして無数の兵士、市民が犠牲になった。

 そして、この本、兵士たちのあり様、権力者たちの姿が、実に生々しい。腐敗も、怠惰も、傲慢も、臆病さも、勇気も、正義感も、愛情も、哀れさも、すべてが。だからこそ、長大な本を読み続けられたのだと思う。

そして日本である。この戦争を日本経済発展の礎となった「朝鮮特需」とだけ位置づけていていいのか。日米同盟、日本の基地化、戦争放棄と自衛隊など、1951年から時間軸を延伸させて考えてみるべきテーマはとても多いように思える。

『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』上・下 
デイヴィド・ハルバースタム/山田耕介・山田侑平 訳 (文藝春秋)
e0065380_128543.jpg

by mihira-ryosei | 2010-05-16 01:31 |
e0065380_23293935.jpg


 昨日、土曜日に本屋で偶然見つけて、一気に読んでしまった。
 このやんちゃな不良夫婦、「ほんまかいな」というエピソード連発だ。「俺たちに明日はない」のボニーとクライドを彷彿とさせるというのは言い過ぎだろうか。
 権威の徹底した否定と体制を笑い飛ばすおちょくり、底なしの度胸と喧嘩力、仲間への愛情、伴侶への同志的信頼。
 
 スカッとする。もっと自由に、奔放に、生きていいのだ。腹をすえてかかればなにをやってもいいのだ。体制への抵抗どころか、消費など狭い自己の欲望すら萎えてしまったかのような今の若者に、足引っ張りだけは上手な事なかれ主義のオヤジたちに、おりょうから、喝!をいれてほしいな。
 

 
e0065380_23352235.jpg
 

『わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き』 一坂太郎 (朝日新書)
by mihira-ryosei | 2009-12-14 00:05 |
e0065380_2139223.jpg


 この本、とても、というより、まあ、面白いという本である。「日本のエリート=官僚政治」というものの原点を戦前にまで遡って、理解させてくれる。また、1976年、高校時代、テレビで見たロッキード疑獄の国会証人喚問で、全日空側の証人として追及を受けていた若狭得治の官僚としての活躍が描かれていて興味深かった。
 ところがこの本のページを折り込んだのは、そんなこととはあまり関係のないことだった。戦争というものの冷酷さ、無残さを痛感させる一文である。


 
 開戦時に六百三十万総トンだった日本商船隊は、戦争で八百四十万総トンを喪失(戦時中に急造された船舶を含む)。ほとんどすべての船舶を失い、戦後残った船は粗製乱造の戦時標準船や老朽船だった。就航可能な船は、わずか六十万総トン。これは明治末期の水準だった。いくら船を造っても、すぐ沈められてしまう。だいたい半年ぐらいの命だから、造船所も手を抜く。しかし、そんな“欠陥商品”であっても、よくも戦時中、二百十万総トンもの船が建造できたものだ、との疑問がわく。それというのも、ほかの工場が空襲でやられるなかで、どうしたことか造船所は爆撃を受けていなかったからである。隣の飛行機工場は全滅というのに、造船所はやられていない。戦後、三井造船を訪れたある米軍将校は、その理由について、「鋼材、資材を使わせて船を造らせ、早く沈めれば、日本の戦力の消耗はそれだけ早くなる」と語ったという。まさに大人と子供の関係である。物質の多寡、技術力の差の問題だけではない。アメリカのこうした老獪さの前に、日本は初めから敵ではなかったのである。


『高級官僚 影の権力者の昭和史1巻』本所次郎(だいわ文庫)
by mihira-ryosei | 2009-11-15 21:41 |
e0065380_0555575.jpg


 近年読んだ本の中でも、最も大きな刺激を受けた本である。少数の専門家集団よりも雑多なアマチュアの方が賢くて創造的で効率よく物事を進められるという考え方、クラウドソーシング。
 ウィキペデア、アマゾン、グーグルなどは有名だが、本書に紹介されていた、スレッドレスというTシャツ作成集団、アイストックフォトという写真家集団、はたまた群衆が望むプロサッカーチームを少額の寄付と投票からつくるプロジェクト、オンラインの投票数が基準に達したらプロバンドとして支援するプロジェクト、先進国から貧困地域に群衆の小さなお金を移動させて経済を興すソーシャルバンキングなど、さまざまな事例が紹介されている。クラウドソーシングの可能性は無限に思える。
 そしてなにより、10億のネット人口が生み出した今の一〇代、「デジタルネイティブ」世代論も興味深い。確実に世界が、人びとが、社会の成り立ちが、変貌していく。さまざまなことを考えさせられる本である。

ヒューマンネットワークの夜明け

インターネット接続によって浮き彫りになった真実というのは、しばしば企業よりもコミュニティの方が効率よく仕事を進められることだ。ある仕事をするのに最適な人材は、誰よりもその仕事をしたがっている人物である。そして、仕事ぶりを評価するのに最適な人材は、仕事をした人物の友人や仲間たちだ。

「誰であろうと関係ない。頭のいい人のほとんどは他人のために働く」。一言でいえば、これこそ本書のテーマである。環境さえととのえば、群衆(クラウド)は、社員がいくら大勢いようと、たいてい彼らよりもよい働きをする。

パソコンの前に座った犬が、もう一匹にこんなことをいうのだ。「インターネットでは、犬だってことが誰にも知られないな」クラウドソーシングでは、有機化学の学位をもっていなくても、プロの写真家の経験がなくとも、デザインを学んでいなくても、誰にも知られはしない。クラウドソーシングには一種の完全な実力社会を形成する力がある。家系も、人種も、性別も、年齢も、資格もまったく関係ない。仕事そのものの質だけが問われるのだ。・・・・われわれ一人一人は、現在の経済構造のなかで発揮しているよりもずっと幅広い、ずっと複雑な才能をもっているという考えだ。

3 より速く、より安く、より賢く―――生産手段を民主化する
少々人間性に乏しい言葉が、「ユーザー生成コンテンツ」である。その大部分は、その場限りであとに残らない会話と同じようなものだ―かつては教会の地下室や街角のバーで生まれては消えていた、いわば文化的な暗黒物質である。だがそのなかには意外さと、力強さと、ユニークさを備えているものも少なくない―それらは、とつぜんに創造性を表現する場を与えられた人々によって、閃きを得て作られている。ユーザー生成コンテンツがどれほど存在するかは誰にもわからないが、そういうものに対する注目がいっそう高まっていることは確かである。そして、大企業がそういうものをいっそう多くとりこんでいる。ユーザー生成コンテンツを原材料にして、グーグル(ユーチューブを傘下にもつ)などの企業が商品を作っている。

4.企業の興亡―――コミュニティを商売にする

 企業によって労働者は組織化され、被雇用者として賃金を与えられた。そしてコミュニティは、われわれが仕事のあと休息をする社会的空間になった――経済生産と競争から離れて息抜きをする場所、宗教活動、慈善活動、あるいは純粋な社会活動に従事するための場所である。このパラダイムは、いまやインターネットによってくつがえされつつある。企業は、生産性をはかるのに重量が用いられる場合には、明らかに優位が立つ。鉄鋼を生産するには、かならずや工場が必要になるのだ。だが情報を生産するとなると、コミュニティは企業に比肩しうる。

動機は外部から来るものと内在するものの二つに分類される。外部からくる動機は、ニンジン(経済的動機)と鞭(上司の叱責)からあら構成されると考えられる。一方、内在する動機は、創造することの達成感、プロジェクトへの信念、コミュニティへの義務感、あるいはコミュニティ内での自分の評価を高めるチャンスなど、さまざまなものから成り立っている。調査によれば、オープンソース・ソフトウェアのプログラマーの多くは内在する動機によって行動するという。そのように考えれば、人びとがアマゾンにレビューを書いたり、スレッドレスのためにTシャツをデザインしたり、アイストックフォトのサイトで初心者向けに写真のイロハを何時間もかけて教えたりすることにも納得がゆく。

多様性を理解することは集団的知性を理解するのに必須である。また集団的知性はクラウドソーシングの主要なカテゴリーの一つ、つまり問題を解決する、未来の結果を予測する、企業戦略の管理を容易にするなどの目的に群衆の知識を役立てる試みに、どうしても欠かせない成分である。

7.群衆は何を作るのか――1パーセントが変革をもたらす

じっさいクラウドソーシング方式の採用を予定している人はメモしておこう――金が大事であれば、このやり方はうまくいかない。アイストックのデザイナーの一人はいう。「面白いことに、フォーラムにあらわれる金目当ての人たちは常連にわきへ押しやられてしまう。自分の意見を伝えられない。みんなに無視されるから。ああ嫌な奴が来た。金儲けしたいだけの奴だと」

事前のリサーチに少しの時間(あるいは、傾倒)を必要とする場合の多いプロよりも、彼らの方がずっと有利になる。コミュニティのもつ能力というのは、このようにして知的資源を生かし、階層からなる組織よりも効率よく働く機械に自らがなることである。この自己組織化の奇跡があってこそ、適切な環境を与えられた場合に、クラウドソーシングが大きな効果を発揮するのだ。

8.群衆は何を考えているのか――10パーセントがもみ殻から小麦を選り分ける

それは一対一〇対八九の法則といって、あるサイトを訪れる一〇〇人のうち一人はじっさいに何かを作りだし、一〇人はその人の作品に投票し、あとの八九人はその作品を消費するだけであるというものだ。

10.明日の群衆――デジタルネイティブの時代

ソーシャルメディアを身近なものとして育ち、しょっちゅうインターネットに接続し、カメラつき携帯、マニシマ、ユーチューブを駆使するデジタルネイティブは、デジタルイミグラントと同じ惑星に暮らしているが、まったく異なる宇宙に住んでいる。かれらは、同時に複数のプロジェクトに集中することができる。会ったこともない人びとと親密に、のびのびと共同作業にあたる。また、前世代の人びとがメディアを消費していたときと同じほどの貪欲さをもってメディアを作りだす。これはクラウドソーシング世代であり、未来にオンライン・コミュニティが従来の企業にとってかわっても、完璧に順応することができる。

デジタルネイティブは、テクノロジーを驚くほど巧みに使いこなしている以外に、クラウドソーシングの動力となる社会行動――共同作業、自由に分かち合うこと、なんでもありの創造性を発揮すること――をとりいれてもいる。この傾向を示す人びとには成人よりも一〇代のほうがずっと多いという事実から、ゆくゆくはこの若い世代がクラウドソーシングの作業場を形成するオンライン・コミュニティで活躍するばかりでなく、そこでいっそうの力をつけ、もっと緊密に結びあう共同体を作りだすと考えられる。


「クラウドソーシング」 ジェフ・ハウ  中島由華 訳  ハヤカワ新書
by mihira-ryosei | 2009-07-27 01:00 |
e0065380_10583881.jpg


 幼稚なことをいうようだが、たとえ生まれ変わるとしても、アメリカはいやだなと思ってしまう。安全すら、民営化に委ね、ルイジアナのように予測可能な自然災害からも守られない。貧しい若者は大学に行くために奨学金を餌に、軍隊にリクルートされていく。ごく中流の家庭ですら一度入院しただけで莫大な治療費に借金が嵩み破産、仕事を求めて、イラクなどで運転手など戦争ビジネスに従事し、心身ボロボロ。大学に進学してもローン地獄、就職しても返済に追われ、病気しても無理を押して出勤、これまた心身ボロボロ。いくらなんでも、本当なのか、これほどまでなのかと思いつつ、ページを繰った。アメリカの陰の部分にすぎないのか、アメリカ社会の本質なのかは、この一冊では断定できないが、格差社会の行きつく姿を、説得性をもって示していることは確かである。
これは「先進国」アメリカを論じるときに、どんな立場の人であれ、無視できない本ではないか。反米とか、親米とかを超えて・・・。
 日本が、この国の軍事力と核兵器に守られていると今も広く信じられていることはどういうことなのか、もう一度考えてみる必要がある。


 ジェフリー(連邦緊急事態管理庁FEMA)は力のない声で言った。
 「洪水の前年の二〇〇四年夏、FEMAはハリケーン上陸を予測していながら、堤防を強化するための災害緩和資金をルイジアナに与えませんでした。洪水対策を急かすルイジアナ州の要請は政府に却下され、ハリケーン時において防御の役割を果たす沿岸湿地帯の大規模な再整備計画「コースト二〇五〇」の一〇年にわたる研究調査と協議の結果は棚上げにされました。堤防の保守や建設のための予算は繰り返し削られ、防波堤は未完成のまま放っておかれました。そして気象学者らの予想通りハリケーンは上陸し、町の八〇%は水の底に沈んだのです」(第二章 民営化による国内難民による・・・・)

 ごく普通の電気会社に技師として勤めていたホセも二〇〇五年に破産宣告をされた一人だ。
 「原因は医療費です。二〇〇五年の初めに急性虫垂炎で入院して手術を受けました。たった一日入院しただけなのに郵送されてきた請求書は一万二〇〇〇ドル(一三二万円)。会社の保険ではとてもカバーし切れなくてクレジットカードで払っていくうちに、妻の出産と重なってあっという間に借金が膨れ上がったんです」(第三章 一度の病気で貧困層に転落する人々)

 「アメリカ帰還兵ホームレスセンター」のデータによると、二〇〇七年現在、アメリカ国内には三五〇万人以上のホームレスがおり、そのうち五〇万人は帰還兵だという。VA(退役軍人協会)のサービスを受けられているのはその二割に過ぎず、残りは何のケアも受けられずに放り出されている状態だ。 (第四章 出口をふさがれる若者たち)



 グローバリゼーションによって形態自体が様変わりした戦争について、パネラ(世界個人情報帰還スタッフ)は、言う。
 「もはや徴兵制などは必要ないのです」
 「政府は格差を拡大する政策を次々に打ち出すだけでいいのです。経済的に追い詰められた国民は、黙っていてもイデオロギーのためでなく生活苦から戦争に行ってくれますから。ある者は兵士として、またあるものは戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれるのです。大企業は潤い、政府の中枢にいる人間たちをその資金力でバックアップする。これは国境をこえた巨大なゲームなのです」(第五章 世界中のワーキングプアが支える・・・・)


 調査ジャーナリストのナオミ・クラインは「過激な市場原理主義の流れに呑み込まれないためには、まず何が起きているかを正確に知ることが不可欠だ」と言う。
 「サブプライムローン問題」ひとつとっても、それを金融の世界に起きた災難としてとらえ、中央銀行の苦渋の決断やそれがあたえる株価の数値だけに目を向けるのか、医療費が払えずにひっそりと死んでいく高齢者や、人間らしい生活と引きかえに海の向こうの戦争に行くワーキングプアの若者たちと同列の現象ととらえ、新しい世界の構造自体に目を向けるのかという選択は、私たち自身の手の中にある」 (エピローグ)


                       『ルポ 貧困大国アメリカ』 堤 未果 (岩波新書)
by mihira-ryosei | 2009-05-31 11:03 |
e0065380_224589.jpg
 

 佐野眞一というノンフィクション作家の著書は、たくさん読んでいる。宮本常一と渋沢敬三を描いた『旅する巨人』、正力松太郎を描いた『巨怪伝』、『東電OL殺人事件』、『枢密院議長の日記』など、つまらなかったものはひとつもない。しかし、この本は特別の傑作だと思う。毎度のように、靖国神社に誰が行った、行かなかったという、のんべんだらりとした報道にふれ、中国でオリンピックが行われている8月15日に、甘粕正彦の生涯を考えてみるのは悪くないことだ。

 ただ、この大著、ページを折り込んだ箇所はたくさんあり、それらを書き写すのは大儀なので、序文からの一節のみを引用させてもらう。

 「しかし、私は東映のヤクザ映画にそれ以上のものを感じはじめていた。銀幕から伝わってくるこのデモニッシュな衝動は、一体どこからやってくるのか。それから間もなく。私は東映が、元憲兵大尉の甘粕正彦が理事長だった満映の残党たちによって戦後つくられた映画製作会社だと知ることになった。そういう目で東映ヤクザ映画を見直してみると、登場する男たちはみな満洲からやってきた流れ者の任侠の徒に見えたし、女たちは全員満州に女郎として売り飛ばされる薄幸な運命にあるように見えた。映画人たちの間で「義理欠く、恥かく、人情欠く」と陰口される東映の三角マークの裏側に隠された、えもいわれぬ快美感と、それとは裏腹の名状しがたい恐怖感には、“主義者殺し”の烙印を押されたまま自決した甘粕の無念と、満州の地平線に沈む血のような色をした大きな夕陽の追憶が、底知れないニヒリズムとなって照り返しているのではないか。妄想はそんなところにまで及んだ」
 この本は、甘粕正彦という日本の近代史において、最も謎の多い人物に迫ることをテーマとしている。一般的には、甘粕正彦は、関東大震災に乗じて、社会主義者の巨頭、大杉栄とその同棲相手伊藤野枝、大杉栄の甥・宗一少年を殺害した人物として、また、映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じていた満州帝国の大立者として、知られているのみであろう。
しかし、この本はそのような甘粕の人物像がいかに皮相なものであるのかを膨大な取材と資料によって明らかにしていく。
憲兵大尉・甘粕正彦の「主義者殺し」以前のことや「主義者殺し」事件自体についての検証、甘粕の服役生活と恩赦出獄、結婚とヨーロッパ留学を前半で、そして後半では、満州建国と甘粕の謀略活動、満映理事長就任、敗戦と自決までを描いている。

卓越した指導力、潔癖、公平無私、部下や周囲への常軌を逸した献身ぶり、帝国への忠誠、趣味は謀略、右翼も左翼も、何国人でも使いこなす度量、紳士、スタイリスト、希代の酒乱、彼らしい最後・・・・甘粕という人物の奥深さ、魔力に、わきあがるような感慨を覚えた。

そして、大日本帝国が生み出した、巨大な虚構としての満州帝国、まさにそれこそが、「乱心の曠野」なのだが、そこに吸引されていった人物の多彩さにも興味がつきない。帝国の興亡を現実に生きた人が、「その後」をどう生きたかも終章で活写されているが、それらを見るにつけ、歴史というのは途絶することがなく、どこかでつながり、形を変えて生き返っているような気がする。

 「甘粕正彦 乱心の曠野」 佐野眞一(新潮社)
by mihira-ryosei | 2008-08-16 02:05 |

dog ear 18 創氏改名

e0065380_23533635.jpg


               『創氏改名 -日本の朝鮮支配の中で』 (岩波新書) 水野直樹

 「創氏改名」とは何か。なにか、日本の朝鮮の植民地支配、民族同化政策というキイワードで、説明できた気になっていたが、はたしてどういうことだったのか。この本は、決してわかりやすい本ではない、かといって難解でもないけど・・・。押し付け的でもない。かといって軟弱ではないけど。とにかく、いろんなことを考えさせてくれる本である。
 著者の水野直樹氏、先生が大学院時代に、他大学生ながら卒論のアドバイスを受けた。今から30年近く前になる。


 もともと、朝鮮を強権支配していた日本は、朝鮮人に多くの制限を課していたが、もともと、姓名についても、日本人化をしようなどとは思っていなかった。名前までいっしょになったら、日本人と区別がつかなくなるから。特に警察が反対していた。しかし、姓を変えることは、天皇制国家にとっては必須のテーマとなっていった。

第1章 創氏改名まで

 第一に、ハングルで姓名を登録することが認められなかった。・・・第二に、朝鮮語の固有語彙で名を付けることが制限された。・・・・第三に―これが創氏改名との関連でもっとも重要な問題である―、朝鮮人が日本人風の声明を名乗ること(民籍・戸籍に登録すること)を禁じる政策をとったことである。・・・肌の色、顔つきで区別できず、ことばや服装が同じようになった場合、日本人と朝鮮人を区別する手がかりがなくなってしまう―総督府が恐れたのはこれであった。・・・「内地人に紛らわしい姓名」に改めることは禁止されることになった。・・・このように、併合直後、「名前の差異化」政策がとられ、それが創氏改名にいたるまで変わることがなかったのである。

 ・・・異姓養子(姓の異なる者を養子とする)を認めないこと、姓は不変であること、同本同姓婚(本貫・姓を同じくする男女の成婚)を認めないことなどが朝鮮の慣習とされ、「両班的」というべき家族・親族制度が維持されることになった。しかし、総督府は男系血統にもとづく宗族集団の存在を植民地支配にとって不都合なものと考えていた。なぜなら、天皇を宗家とし、その下に臣民である家長の率いる各家が分家として存在すると観念されていた日本の国家・社会体制と違って、朝鮮社会に強固な宗族集団が存在することは、天皇の名による植民地支配を不安定なものにしかねない、という認識があったからである。
 ・・・朝鮮人を「血族中心主義」から脱却させて「天皇を中心とする国体」の観念、「皇室中心主義」を植え付けること―これが創氏の真のねらいだったのである。・・・「内地人風の氏」へと誘導する仕組みが準備された。・・・法令で規定されていた氏設定にかかわる制限は、歴代天皇の諱・名、朝鮮の他の姓を付けてはならないというものだけであった。しかし、総督府は、法令の解釈によってさまざまな制限を設けた。たとえば、夫婦の姓を合わせた二字の氏(朴李、金梁など)、姓に日本人風の苗字を付け加えた氏(中村金、井上朴など)は、受け付けないとした。・・・さらに総督府は二字からなる氏が「日本人風」であると奨励したため、実質的に新たな氏として認められるものは、「二字からなる日本人風の苗字」へと狭められることになった


e0065380_23565883.jpg



第2章 創氏実施と強制の実態

 中には、創氏をした生徒には胸に「創氏札」をつけさせるという学校まであらわれた。・・・同校では七割の生徒が「創氏改名」したとされるが(ただし改名率がこれほど高いとは思えない)、それら生徒の胸に「新しい名を書いた札をぶら下げさせている」、それは「新しい名を忘れ勝ちな爺さん、婆さんや近所隣りの者に覚えさせ、合わせて創氏の普及に協力」するためだと伝えられる。
 

 檜山さん、「犬の子」を名前にしようとは、なんたる創氏、痛烈な皮肉、さすが、檜山!!背番号24とは関係ないと思うけど。

第3章 批判・抵抗と取締り

 慶尚南道東莱邑の檜山錫斗(朝鮮名不明、製棺業・五四歳)は、「昭和十七年十一月二日釜山府寿町福成旅館庭先に於いて金光今述外二名に対し、『一昨年自分は犬の子と創氏して  
東莱副邑長に書類を差し出したら、何故犬の子と創氏するかと理由を問うので、自分は朝鮮人は変姓せば犬の子、牛の子といわれるから、創氏は変姓であるから犬の子と創氏したと答えたら、副邑長は自分を叱り、若し斯様な事を警察に知られたら貴殿は処罰されるから改めて届け出よと云われ、檜山と創氏したが、朝鮮人は存在がない』と放言」したとして、懲役六ヵ月の判決を受けた。

 創氏改名の持つ矛盾は、「差異」と「同化」を両方追求しなければならない矛盾であろう。

第4章 創氏改名における差異化

 ・・・朝鮮人を同化すべきことは疑いの余地がないが、朝鮮人に日本の名字を名乗らせることは国体の原理である名字を単なる「符牒」に過ぎないものとして軽侮する思想を広め、国体に深刻な損害を与えることになる。では、どうすればよいか。朝鮮人に「内地の姓」を認めるのは「内地人」と結婚した場合に限るべきであり、「濫りに外藩に名字を濫与」することは避けるべきである。しかし、「半島統治の必要」を顧慮するなら、朝鮮人に「日本式なる姓氏にして、しかも未だ嘗て、内地に存在せざりしもの」、たとえば、金氏なら、「金寺、金水、金月」などを用いさせるようにすればよい―これが古谷の主張である。

 総督府は、氏の設定届出をさせるために強圧手段をとったが、それに比べると改名については放任する態度をとったばかりか、むしろ消極的な姿勢を示した。・・・「個人の個性」を尊重するといいながら、実は朝鮮人であることを表す名のままにしておくのがよいと考えていたのであろう。


第5章 創氏改名の諸相

 朝鮮YMCA会長であり資産家でもあった尹致昊(ユンチホ)は、一九三八年に国民精神総動員朝鮮連盟常務理事に就任し、総督府に全面協力する姿勢を示していた。・・・尹は、(日記で)「日本がなりたいと思っている大帝国は必ず多くの人種で構成されるべきものである。彼らにすべての点でまったく同じようになれと強要することは、馬鹿げた不可能な政策である」・・・と書いて、総督府のやり方を厳しく批判している。

第6章 創氏改名がのこしたもの

 京畿道警察部長は・・・会社・銀行などでは仕事中や日本人と話すとき以外は旧氏名を使用することを常とし、郡部に於いて特に其の傾向甚だし」いことを明らかにしている。創氏改名をした者で、新氏名だけの標札を掲げるものは、「殆ど稀にして、大多数は新旧両名を併用」している。新氏名を使う者が都会地に多いのに対して、郡部で少ないのは、標札をつくる資力がないこと、「文盲」が多いことの証左である。


 2週間前に、父が亡くなりました。この本は、父が亡くなる直前に読み終えたものです。なんというか、写経のようなつもりで、ページの折り目の文書を書き写しました
by mihira-ryosei | 2008-07-07 00:00 |
e0065380_063997.jpg


            『ベートーヴェンの交響曲』金聖響+玉木正之(講談社現代新書)

 指揮者の金聖響(きむせいきょう)とスポーツライターの玉木正之の対談を前後に、間は、第一番から第九番まで、ベートーヴェンを研究し、演奏し尽くした、指揮者・金聖響の語りで構成されている。
 何故か、クリスマス・ライブのあと、突然、ベートーヴェンの交響曲が聴きたくなった。考えてみれば音楽をCDで聴くようになってから、ベートーヴェンの交響曲は、第九しか買ったことがない。レコードでは、第ニ番から、三、四、五、六、七、九と持っているから、かれこれ四半世紀もごぶさたしていたことになる。その間、交響曲は、モーツアルト、シベリウス、マーラー、ショスタコーヴィチなんかを聴いてきたことになる。
 年末、この本を読み、映画「敬愛するベートーヴェン」を観て、そしてバーンスタイン指揮の交響曲全集をアマゾンで取り寄せた。新しい気持ちで、一番から順に聞いて、八番まで聴いた。「ココロの浄化」というところかな。ところが、そこまでで、何故か、寅さんのリリイ物(浅丘ルリ子)が観たくなり、弟から借りた。じんわりとココロに沁みた。ところがところが、これも4作のうち3作までで、これまた最終48作を残して、年末年始休暇が終わってしまった。


交響曲第五番

 ただ「凄い」としかいいようがないくらい、それほど、これは見事な音楽です。異常なまでの力を感じる音楽。しかも作品として、完璧です。ひとつの究極の姿。これ以上のものは想像できない音楽。どのひとつの音も完璧に計算され、構築された完全な構造物。・・・・
 まず最初にフォルテッシモで、♪ダダダダ~ン! ダダダダ~ン!(ソソソ♭ミ~、ファファファレ~)と四つの音を2度、弦楽器とクラリネットで鳴り響かせますが、まず、この音を合わせるのが難しい、至難の業です。カラヤンがベルリン・フィルを振った映像でも、イチ、ニッ、サン、ン♪ダダダダ~ンと、3回棒を振ってからオーケストラに音を出させています。バーンスタインがウィーン・フィルを振った映像でも、イチ、ニッ、ン♪ダダダダーンと、音の出る前に2度振っています。ここで、「ン」といったのは、最初の音が出る前に、八分音符があるからですが、その前に指揮棒を1回振りあげるだけで、♪ダダダダ~ンと、すぐにオーケストラが入るのは無理でしょうね。・・・・・そうして音楽は第4楽章の橋渡しをする静かな部分へと移ります。何か不気味な予兆に満ちた音をティンパニが♪トントントン・・・と静かに響かせ、ヴァイオリンの緩やかに波打つような音の動きが、やがて徐々に大きくなり、さらに大きなうねりとなって、音楽はとぎれることなく第4楽章の冒頭で爆発します。♪ドーミーソ~ファミレドレド~、ドードレ~レレミ~、ドレミファミファソラソラシド~、ドレミファミファソラソラシド~、ドレミファミファソラソラシドシドレミ・・・ ハ長調です。なんという単純さ!ドレミファを順番に並べただけ!しかし、これほど素直に歓喜の雄叫びを張りあげた音楽は、ほかにありません。シンプル・イズ・ベスト、という基準で語るなら、これ以上シンプルにして美事な音楽表現はありえないでしょう。

交響曲第七番

 (第2楽章)ここで誤解してもらいたくないのですが、私はなにも、メロディになりきれていないから不完全だとか、完成されていないといっているわけではないのです。・・・・この音楽は、バッハの『平均律クラーヴィア曲集』や『無伴奏チェロ組曲』と並ぶかそれ以上といえるほどの大傑作だといいたいわけです。何しろきわめて単純なリズムと、和音進行と、メロディになる前の原型だけで、聴く人の心に深く入り、まるで魂を鷲摑みにされるとでもいえばいいのか、魂の在処を教えてくれるとでもいうのか、それほど心に響く音楽にまで昇華させているのです。とはいえ、この素晴らしい音楽を聴くことによる感じ方は、人によってじつに様々で、十人十色どころか百人百様といえるほどです。ある作家は、この音楽を「トリステッセ(深い悲しみ、悲哀、憂い)の極み」と表現したそうですが、別の作家は「婚礼の行進」と称したといいます。また、「祈りの巡礼」とか「心からの希望」といった人もいます。深い悲しみから、心の奥からの喜びまで、まったく正反対の感想が生じるのも音楽の抽象性の素晴らしいところといえるのでしょう。
by mihira-ryosei | 2008-01-26 00:13 |
 
e0065380_13363760.jpg

 ビートルズのレコーディング・スタッフであった、ジェフ・エメリックの本である。ビールズが、ライヴ・ミュージシャンであることを辞め、スタジオでの創作活動に専念し始め<リボルバー>を発表し、<アビイ・ロード>で解散するまでの、生々しい克明な記録である。600ページ近くの大著を、あっというまに読み終えてしまった。
リバプールからロンドンにやってきた革命的バンド、このことの意味については考えたことがなかったが、どうやら、昔なら青森や根室から、東京に突然凄いのが現れたような衝撃だったにちがいない。ビートルズのひとりひとり、とりわけジョンとポールが発する才能のオーラは、エネルギーをスタジオに充満させ、熱伝導のようにスタッフにも伝わり、前例を次々と覆すとレコーディング手法にチャレンジさせ、音楽の革命を成し遂げる。そしてその熱量が頂点に達したとき、破綻が生まれ、友情が壊れ、終焉を迎える。その現場の証人でありつづけた筆者。
 この本、感慨は尽きることがない。そして、この本をよんでからというもの、ビートルズばかり聞いている。
 

e0065380_13371270.jpg

 
 ポールは几帳面で計画的なタイプだ――いつもノートを持ち歩き、読みやすい字で、歌詞やコード進行を書き留めていた。対照的にジョンは、いつも混乱をきたしているようにみえた――思いついたアイディアを走り書きしようと、しょっちゅう紙切れを探しまわっていた。ポールは生来のコミュニケーション上手だった――ジョンは自分のアイディアをうまく言葉にできなかった。ポールは外交家だった――ジョンは扇動家だった。ポールは口調がやわらかく、滅多に礼を失しなかった――ジョンは大口叩きで、かなり無礼な男だった。ポールはあるパートを完璧に仕上げるために、長い時間を費やすことも厭わなかった-ジョンはせっかちで、すぐにあたらしいことをやりたがった。ポールはたいてい、自分が求めるものを正確に把握し、批判を受けると気分を害した――ジョンはずっと神経が太く、他人の意見をオープンに聞き入れた。事実、特に強い思い入れがないかぎり、彼はたいてい変更を受け入れていた。(6 ハード・デイズ・ナイト)

 あのビートルズが・・・と信じられないことだが、録音コストには気を使わざるを得なかったようだ。<イエローサブマリン>のブラスは、著作権惜しさに、既存の演奏を切り刻んで、再生してつかったというエピソード。

e0065380_13374546.jpg


 ジョージ(マーティン)は・・・・ぼくに今日の一部をまっさらの2トラックに・テープに録音させた。そしてそのテープに録音させた。そしてそのテープを細かく切り、空中に放り投げ、そのあとでまたつなぎあわせるように指示した。そうすればランダムな並びになるだろうと考えてのことだったが、実際につなぎ合わせてみると、ほぼ原型どおりに仕上がっていた!
(7 創意と工夫――《リボルバー》の舞台裏)

 傑作が生まれる瞬間にたちあえる感動とはどのようなものだろう。ビートルズに様々な軋みが生じていた後期にも、メンバーの傑作を認め、それをいっそうよいものにしていこうという意欲があったそんなことを感じさせてくれるシーンである。

 
e0065380_133847100.jpg


 最初の音を聞いた瞬間、ジョンの傑作だとわかった。彼がつくりだしたのは、「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」と呼ばれる謎めいた場所への優しさあふれる、ほとんど神秘的とさえいえそうな賛歌だった。歌詞の題材がなんなのか、ぼくにはさっぱり見当がつかなかったけれど、まるで抽象詩のように言葉ひとつひとつが力を持っていたし、ジョンの声も幽玄で、どこか魔法めいた感触があった。彼がうたい終わっても、みんな圧倒されて押し黙っていた。と、ポールがその沈黙を破り、敬意をにじませたもの静かな声で、ひとこと「最高だ」といった。・・・・すぐさまレコーディングにとりかかりたい。スタジオにはグループの創造力が、一気に噴出したような感じだった。

 <ア・デイ・インザライフ>をめぐるエピソードである。

 
 ジョンにはひとつアイディアがあった。ものすごく小さな音が次第に大きくなり、ついにはなにもかも飲みこんでしまうという、いつものように抽象的なアイディアだった。するとそれに乗ったポールが興奮気味に、フル・オーケストラを呼ぶのはどうだろうと提案した。ジョージ・マーティンもその案を気に入ったが、同時にコスト意識も忘れず、わずか24小節のために。90人編成のフル・オーケストラを呼ぶなどという大判ぶるまいをEMIが許すはずがないと主張した。解決策を思いついたのは、意外にもリンゴだった。「だったら」彼は冗談のようにいった。「オーケストラを半分だけ雇って、1、2回弾かせりゃいいだろ」 全員がこのアイディアのシンプルさ―― あるいは無邪気さ―― に意表をつかれ、一瞬きょとんとした顔になった。 「おいリング(あだな)、そりゃ悪くないアイディアだぞ」ポールがいった。「だがきみたち、それでもコストの問題は・・・・」ジョージ・マーティンが遠慮がちに異議を唱える。議論に終止符をうったのはジョンだった。「もうよい、ヘンリー」命令を下す王様のような声で彼はいった。「おしゃべりはもう飽き飽きだ。とっととやってしまえ。」 (8 ここにいられて最高です。ほんとにわくわくしています ――《サージェント・ペパーズ》のスタート)

e0065380_13395030.jpg


「最後」に友情とチームワークが発揮された<ウィズ・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ>

 果敢にヴォーカルに挑む彼を、三人の仲間が取り囲み、マイクの数インチうしろから、声を出さずにはげましたり、指示を出したりしていたのである。四人の団結心を如実にしめす、感動的な光景だった。唯一の問題は最後の高音で、リンゴはなかなかこの音をきれいに出せなかった。(機械操作で処理しようとしたリンゴ) 「いや、リングちゃんとやらなきゃ駄目だ」ポールが最終的な結論をくだした。「大丈夫さ、集中すれば、きっとできる」ジョージ・ハリソンガ励ますようにいった。ジョンまでが、なんとか手助けしようとしたアドバイスを――決して技術的とはいえなかったが―― 口にした。「頭を思い切りうしろに反らせて、あとは運を天に任せろ!」 なんどかトライしたのちに、ようやくリンゴはその音を、ほとんどふらつくことなく伸ばしつづけた。
(9 傑作がかたちに ――《ペパー》のコンセプト)

e0065380_13402179.jpg


 <オブ・ラ・ディ・オブラダ>のレコーディングは、まさにその好例だった。ついさっきまでノリノリで、似非ジャマイカなまりを披露したり、陽気におどけたりしていたかと思うと、次の瞬間までむすっとして、この曲もやっぱりポールの「ばばあ向けのクソ」だとぶつぶつ文句をいいはじめる。ジョンの気分はいつ変わるとも知れず、事態は確実に悪化の一途をたどっていた。だからポールが数日後の夜、今までのレコーディングはすべて廃棄し、一からこの曲をやり直したいといいだしたとき、当然のようにジョンは怒り狂った。大声でわめきながらスタジオを飛び出し、そのすぐあとをヨーコがついていく。今夜はこれでお見限りだろうと、だれもが思ったが、その数時間後、明らかにさっきとはちがう精神状態で、彼は嵐のようにスタジオに舞い戻ってきた。・・・・・「そしてこのクソッタレな曲は」と彼は歯をむいてつけくわえた。「こうしてやればいいんだ」 あやしげな足取りで階段を降り、ピアノに向かったジョンは、力まかせに鍵盤を叩き、この曲をイントロになる有名なオープニングのコードを、むちゃくちゃなテンポで激しく弾いた。と、ひどく興奮した顔つきのポールが、ジョンの前に立ちはだかる。ぼくは一瞬、殴り合いになるのを覚悟した。「わかったよ、ジョン」彼は狂乱状態にあるバンドの仲間をまっすぐに見据えながら、きっぱりといい切った。「きみのやり方でやってみよう」たしかにポールは怒っていたのだろう。だが心の奥底では、長年のパートナーが自分の曲のためにアイディアを出してくれたことを、うれしく思っていたのではないか・・・たとえそれが、正気を失っているあいだに思いついたアイディアだったとしても。(11 ぼくが辞めた日――《ホワイト・アルバム》の舞台裏)


 アルバム・ジャケットの〆切が近づいてくると、ジョンとジョージもこのアイディアに二の足を踏み、リンゴの肩を持ちはじめた。たかだか写真撮影のために、あんな遠方まで旅をするということが、彼らにはどうしても納得できなかったのだ。「エヴェレスト行きがボツってことになったら、ぼくら、どこに行けばいいんだ?」ある日の午後、ポールが憤懣やるかたない様子で訊いた。ジョンとジョージは面食らったような顔になった。するとリンゴが口をはさんだ。「立った外で写真を撮って、《アビイ・ロード》ってタイトルにすればいいだろ」と彼は冗談のつもりでいった。信じようと信じまいと、アルバムのタイトルはこうして決められた。アビイ・ロードのお偉方たちは、長年にわたり、スタジオに対する彼らの愛情がこのタイトルの由来になったと主張してきたが、実際にはなんの関係もない。むしろ、あの当時の彼らはこの場所を嫌っていた。単純にできるだけ近場で済ませたかったというだけの話なのだ。(14 とどのつまりは――(アビイ・ロード)の完成) 
e0065380_13404949.jpg


『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』 ジェフ・エメリック&ハワード・マッセイ (白夜書房2006年)
by mihira-ryosei | 2007-02-25 13:41 |
e0065380_1036971.jpg



この本の締めくくりは、こうである。
 「幕末日本の大方が攘夷で沸きたっており、その中心に天皇・朝廷がいたという神国思想や大国主義で色揚げされた物語こそ、本文でのべたように、「無稽の謬説」の一つであった。その物語は、近代日本がつくり出した、新しい天皇制近代国家の創生「神話」にほかならなかった。」
 
 歴史の通説をひっくり返すという行為は、愉快なものだが、その動機によっては危険な意図が見え隠れすることがある。「美しい国・日本」などということばも、憲法や教育基本法の昨今のありようを考えると、日本人の歴史認識に巧妙に働きかけ、盲目的な復古主義を喚起する可能性なしとしない。ところで、本書がひっくり返した通説は、きわめて重大なもので、近代の日本人の歴史認識を形成している土台をつくりかえようとする作業なのである。
 江戸幕府の圧制にあえぐ庶民、世界に著しく遅れた後進国家、迫る西欧諸国の侵略、沸き立つ攘夷の声、幕府の動揺と無能、雄藩の台頭、朝廷を中心とする近代国家の構想、文明開化・・・これらのことすべてに再検討を求めているのが、本書である。
 僕も大変な刺激をうけた。この言説を検討すると、司馬遼太郎の幕末・維新、明治観も、かなり書き換えなければならないのではないか。
e0065380_10365989.jpg 
 江戸幕府下においては、成熟した社会が形成され、庶民の提言も受け入れる柔軟な統治もおこなわれていた。差し迫る西欧諸国の危機など存在せず、攘夷を叫ぶ孝明天皇(写真)をはじめとする朝廷こそ開明派の大名からも無謀な冒険主義との批判を受けていた。このような状況でも、むしろ幕府外交は高い水準を持っていた。幕府の近代国家構想こそがよほどリベラルであった。他方、文明開化などというが、明治政府の圧制は江戸時代の比ではない、苛斂誅求ともいうべきものであった。そしてこの幕末・維新の歩みが、日清日露戦争から、第一次世界大戦、第二世界大戦を経て、日本の無残な敗北までを必然としたのである。
 
 「プチャーチンの秘書として同席した文豪ゴンチャロフの『日本渡航記』によれば、闊達、陽気な川路(外交交渉にあたった幕臣)は、立派な贈り物を例にあげて、「日本人は、なにもかも渡して素っ裸になってしまうでしょう」とロシア側全員を笑わせ、自分も笑いながら、交渉を打ち切って、「貴族らしく悠然と立ち上がった」。
 印象深い場面であるが、川路の応答は、たしかな道理を述べているのである。貿易が国を富ますという説に、川路は同意しなかった。一方、値安のものを交換するのが利益だという説には、「道理」と賛意をあらわす。後者はプチャーチンの言うとおりである。だが、前者は、国と国との経済力の格差が大きいときに不用意に貿易関係に入ると、後発国の在来産業は深刻な打撃をうけてしまう。「通商は国の痛みに」なるのである。」
 
 今の日本外交より、はるかにましだ。

 「オールコック(初代イギリス公使)は、下関四国連合艦隊砲撃事件をリードした対日強硬派であり、日本を「半ば未開の東洋の一国民」と見ていた。だが、時に違う観察が紛れ込む。1860(万延元)年、富士山に登頂した帰り道、伊豆の韮山あたりの「小さな居心地のよさそうな村落や家々」を通りかかったときの彼の述懐である。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し、呻吟させられている抑圧について」、「かねてから多くのことを聞いて」いる。だが、「これらのよく耕作された谷間」でひじょうなゆたかさのなかで家庭を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民」を眼にすると。これが「圧制に苦しみ、過酷税金を取り立てられて窮乏している土地」だとは「とても信じがたい」と。」

 「農民の暴力的な蜂起というという百姓一揆像も、事実と違っていることが分かってきた。・・・「あえて人命をそこなう得物はもたず」、非暴力的蜂起という点が江戸日本に普遍的な原則であった。事実、江戸時代、3200件ほどの一揆のなかで、竹槍による殺害の事例は、わずか2件だけであった。・・・従来、駕籠訴は重罪、本人は獄門といわれてきた。だが、最近の研究によれば、駕籠訴は、要求に道理があれば、事実上、認められていたのである。・・・江戸幕府の支配の強さは、訴訟を禁止し、百姓を力で圧倒したことにあるのではなかった。訴願を受け付け、献策を容れる「柔軟性のある支配」に、その持続の秘密があった。」

 「幕末後半期・・・日本に最大の影響力をもつイギリス外交は、中立、不介入の路線を確定し ており、それを明確に表明していた。イギリスの判断の基礎には、列強の勢力均衡という日本の地勢、日本の政治統合の高さ、イギリス海軍の能力の限度、貿易のおおむね順調な発展、大名の攘夷運動の終息、西南雄藩の開明派の台頭などがあり、中立、不介入の方針は確立されていた。」

 「日本に国際的な重大な軍事的危機が迫っていたわけではないのである。対外的危機からの脱出がなにをおいても必要だったという国際関係を前提に急進的な政治革新を必然的なものと描き出す見解が、従来有力なのだが、冷静に再考されるべきである。」

 「西周の幕府国家構想では、朝廷の公家は山城国(京都府南部)から「外出」できず、外出しても「平人」と均しくあつかわれるなど、朝廷の特権が大幅に制限されていた。維新政府の権威主義的な天皇制国家より、リベラルな国家をめざしていたのである。」

 「社会が必要とする勤勉や、規律や衛生は、実は、江戸民衆社会に、欧米のそれとは、形態が違っていたかもしれないが、成熟をとげた形で存在したのである。役所や懲役場、はては病院までも、明治初期のうちこわしで、「焼き打ち」の攻撃対象になったことの意味が、ここにある。とりわけ激しい反発をよんだのは血税と的確に批判された徴兵であった。兵役といわれても、実際に当時の日本に欧米の侵略の危機があっただろうか。・・・一年半も、政府の要人がこぞって欧米を回覧する当時、国際的な戦争が迫る危機は、情勢としてまったくなかったのである。・・・・無理やりの欧米化、そして万国対峙という大国主義、これが、討幕派という少数派が、新政府の要人になるときから、政治の基本として身につけていたものだった。

  『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』 井上勝生 (岩波新書)
 
by mihira-ryosei | 2007-01-20 10:38 |