オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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 もう桜はよそうと思っていたのだが、京都御苑を読書がてらプラプラ散歩していて、ついデジカメのシャッターを押してしまった。それであまり本は読めなかった。『笑う沖縄ごはん』(双葉社)、『靖国神社』高橋哲哉(ちくま新書)。
 まずは「桜松」。枯れた松の空洞に、山桜が根を張って毎年花を咲かせていたようなのだが、平成7年4月17日に松が倒れてしまったのである。今は倒木の松に桜がのっかるようにして、そそり立っている。来年は満開を見よう。
 今一枚は、出水の小川の八重桜である。強い春風に花びらが流れていた。

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by mihira-ryosei | 2006-04-30 18:56 | 京都なんでも
 
 今日の昼飯は、スーチカ野菜塩ラーメン。意味があるかないかわからないが、豚だしスープに、生姜、ニンニク、昆布を入れて火をかける。スーチカを炒める。残り脂で野菜を炒める。塩、黒胡椒をふる。春キャベツ、青梗菜、ネギ、セロリ菜。
 ラーメン鉢に、昨日のつけ卵の漬け汁を少し注いでおく。豚だしスープを加え、ゆがいた麺を入れて、炒め野菜をのせる。最後に、スーチカとつけ卵を添えて、完成である。
野菜の甘みと歯ごたえが嬉しいラーメンに仕上がった。
 普通のチャーシューでは何故いけないのかという疑問も沸いてくるが、いいんです。

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by mihira-ryosei | 2006-04-30 18:40 | キッチン
 
 
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再びスーチカに挑戦。先週日曜日に塩漬けにしておいた豚バラ肉塊2本と豚モモ肉塊1本を表面の塩を洗い、水から一時間ほど煮る。塩は前回のスーチカが「やや塩辛い」との声もあったので、塩漬けだから当たり前と反論したいのを抑えて、今回は、アンデスの赤い岩塩を起用した。豚だしのスープに、昆布を入れて少し煮てからとりだす。このスープをつかって、ラーメンをつくることを思いついたのだ。
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 つけ卵を仕込む。ゆで卵の殻をむいて鍋に放り込み、醤油、みりん、酒をドボドボかける。ついでに豚だしもかける。ときどきくるくるとひっくり返しながら、三時間ほど漬け込む。生協で、グリコの麺と鶏ガラ醤油のエキスを買ってくる。
 あとは順番どおり。ラーメン鉢にエキス、豚だしスープを加え、そこにゆがいた麺を入れる。スーチカは、モモ肉はそのまま、バラ肉は軽く炒めてから、麺にのっける。ネギとつけ卵を添えて完成。
 美味いもんだ。ラーメン屋さんでも開業しようかなど軽口もとびだす。豚だしが残っているので、明日は何をつくろうか。
 ところで今回は、コピーライターの友人N氏絶賛の『笑う沖縄ごはん』に刺激を受けた。この本ではスーチカーと語尾を伸ばしてある。そのスーチカーに関する沖縄の市場のおばちゃんのコメント、「まず水洗いしてね、塩とってね。水から30分ぐらいゆでるの。それでゆでこぼしたら、また水からゆでなさいね」とある。僕はそんな面倒くさいことはしていないけど。
 Halさんのおかげで(せいでとはいわない)スーチカ旋風吹きあれた4月である。
by mihira-ryosei | 2006-04-30 01:20 | キッチン
 
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 2週間前の日曜日、デジタルカメラが故障した。結局修理に出すことになり、14,000円もかかってしまった。修理には高すぎるが、買い換えるには迷う価格であった。今日、届いたので、電源をオンにしてみると画像に表れたのがこれである。故障の数時間前、哲学の道で撮ったもの。僕の記憶には曖昧だったが、デジカメにはくっきりと残っていた記憶である。今年の桜はおしまい。僕の中では、咲き始めた頃はちやほやされた桜も、先週あたりになると、まだ咲いていやがるという扱いだった。
 今日、僕の家の近所をドライブするとハナミズキの赤い花がいっせいに開いていた。でも桜ほどのときめきはない。
by mihira-ryosei | 2006-04-29 22:58 | 京都なんでも
 e0065380_2073482.jpg今年1月28日の当ブログにおいて、高石ともやとザ・ナターシャーセブンをとりあげ、その締めくくりに、メンバーであった坂庭省吾への期待を表明していた。その後友人T君から、「知らんかった」というタイトルのメールが届いて、僕は坂庭省吾の死を知った。2003年12月15日、癌で52歳の短すぎる生涯を閉じていた。毎日新聞が訃報を報じたが、それは二日後の12月17日のことであった。
 オンラインCDショップ・プー横丁で、彼のアルバムを買った。それがこの2枚。録音は、『ぼくの古いギター』が97年、『別れのうた』が99年、いずれも追悼版として、2004年に復刻された。
 先週届いたCDを今聞いている。ギター、フラットマンドリン・・ピッキングの歯切れよさ力強さは、間違いなく僕が中学生、高校生の頃、超人を仰ぎ見るように憧れていた坂庭省吾である。初のソロアルバム、『僕の古いギター』は、アメリカンフォークを中心としたものである。「柳の木の下」、「せめて今夜だけ」、「マイ ランブリンボーイ」などナターシャーセブンのメニューが懐かしい。今聴いてみると、ほとんどの曲が、死や別れをテーマにしたものなので、哀しい。表題曲の「ぼくの古いギター」では、「死んだらギターを棺に・・・」とまで歌っている。「海原」がよかった。
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 セカンドソロアルバム『別れのうた』は、坂庭省吾のオリジナル曲を集めている。「花嫁」も収録されている。弾き手としての坂庭省吾はまた作曲家としてもいい曲を残している。特にこのアルバムでは、「松原第七中学校校歌」が圧倒的に素晴らしい。これは大阪府松原市の校歌として実際に歌われているとのことである。笠木透の歌詞もよく、さわやかで、真っ直で、快活な校歌に仕上がっている。こんな校歌をもつ生徒は幸せだ。ところで歌い手としての坂庭省吾については、昔から高い評価はしていない。彼の声変わりし損ねたような高音が、どうしてもコミカルに聴こえてしまうからである。残念ながら、このアルバムでもその評価に大きな変化はないのだが、「校歌」では坂庭省吾の歌声がぴったりと調和していた。
 2枚のアルバムとも、坂庭省吾は一人で歌っている。コーラスは排除されている。どうして彼は一人で歌ったのだろうか、どうして。その疑問を抱きながら、「花嫁」を彼とハモッてみた。涙がでた。
by mihira-ryosei | 2006-04-23 20:08 | 映画・音楽
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 子供の頃から、理科や算数が大の苦手だった。大学も私立文系一本。国立大学に進学することはとうの昔にあきらめていた。天才バカボンの「西から昇ったお日様が、東へ沈む」を思い出して、その「歌の反対」という順序を踏まなければ、太陽がどっちから昇るのかもはっきりわからない。(これは今でも変わらない)
 そんな僕が、本屋さんでふと手にとって買ってしまった本。それから何度も、折に触れて、ドッグイヤーのページを開いている。特に落ち込んだとき、惨めなときに、わりと効いてくれる。
 宇宙の歴史150億年から生命の誕生、人類の起源までを、それぞれの専門家がインタビュー形式で答えてくれる。質問が素人的で、それに対する内容も、わかりやすく、ユーモアに富み、かつ格調高い。
 この本を読み返すたびに思うのだが、150億年におよぶ壮大な物語、偶然と奇跡の連続が創りだした自然の法則(宇宙・生命・人類誕生)は、本当はなんらかの意志がはたらき、計画され、仕組まれたものでないのか、という不思議な思いにかられる。最近読んだ『99.9%は仮説』(竹内薫 光文社新書)によれば、「宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的設計者がたとえばDNAを設計して、生物をつくりだした」説が、アメリカでは真面目に議論されているようなのだが。

第一幕 宇宙
 ビッグバン以前から、ビッグバン、カオスの宇宙から、地球の誕生、水による地球の変貌など

 「今世紀の最大の発見は、過去の大多数の科学者が考えていたのとは違って、宇宙は永久不変ではないということです。宇宙には歴史があり、たえず変化して、密度と温度が徐々に低下し、構造を形成し続けてきたということがいまや定説となっていて、観察と理論によってシナリオを復元し、時間を遡ることができます。宇宙の進化が始まった時期についてはさまざまな意見がありますが、ほぼ100億年から150億年と推定されています。数多くのデータが描き出すその当時の宇宙の姿は、銀河や星はおろか分子や原子や原子核すら存在せず、形のない超高温の物質がどろどろの粥状になった、まったくの混沌です。これが「ビッグバン」と名づけられたものです。」

 「地球の歴史の45億年を一日に換算して、午前零時に地球が誕生したとすると、午前5時に生命が出現して、それ以降ずっと発展し続けます。午後8時になってやっと最初の軟体動物が生まれ、午後11時の出現した恐竜は11時40分に絶滅して、哺乳類の急速な進化が始まります。11時55分をすぎてようやく人類の祖先が誕生し、最後の1分間に脳の容積が倍になりました。産業革命がはじまったのはわずか100分の1秒前のことにすぎません。」

 「宇宙は無限に膨張し、冷たくなっていくでしょう。・・・少なくともまだ400億年は宇宙の膨張が続いていくということです。」

第2幕 生命
 原始のスープ、生まれのしずくから生命の形成、種の爆発
 
 「性はどうも共食い現象から生まれたらしいのです。つまり、細胞が互いに食い合って他の遺伝子を取り込み、それらの遺伝子が細胞内で混ざり合ったのです。・・・より複雑な生物になるにしたがい、自己の遺伝子を半数ずつもつ生殖細胞という特殊な細胞が作られるようになります。・・・これは一種の革命です。有性生殖の出現によって、自然は遺伝子を混交させることができるようになり、多様性が爆発的に増大し、生物進化の大冒険が始まります。」

 「死は生と同じほど重要なもので、自然が発展し続けるのに必要な原子、分子、無機塩などを再循環させる働きをします。宇宙にある原子の総数はビッグバン以来一定なので、死によって原子の大がかりなリサイクルが行われ、新たな生命の蘇りが可能になっているのです。・・・どんな生物でも休みなく増殖を繰り返していますが、一種の生物時計ともいえるような化学的振動体が細胞内にあって、各細胞の増殖の回数を四〇回から五〇回程度に制限しています。そしてこの回数に到達すると、遺伝子内にあらかじめプログラムされたメカニズムが働いて、細胞を一種の自殺に導きます。こうして細胞は死んでいくのです。ところが癌細胞だけはこの運命を免れていて、胚の細胞のような機能の特殊化や分化も行わないまま、果てしなく増殖を続けていきます。」

 「まず最も原始的な層は、爬虫類の脳のようなもので、原始的な生存本能、たとえば飢え、渇き、性本能、恐怖、さらに合体を促す快感、それと不可分な苦痛などを統括する部分です。敵が近づくとこの原始の脳が反応して、毒液を出したり飛びかかったりするのです。第二の層は鳥類とともに現れます。これは中脳とよばれる部分で、子育て、巣作り、えさ探し、仕事の分担、さえずり、求愛のディスプレイなどの集団的メカニズムに関係しています。第三の層は霊長類とりわけヒトに見られる大脳皮質で、抽象観念、意識、知性などを生み出す部分です。」

 「私たちの脳はその三層構造のなかに進化の記憶を保存しています。私たちの遺伝子も同様です。それに細胞の化学組成となっているのは原始の海のしずくですから、私たちは自己の誕生の母胎となった環境を自身の内部に保っていることになります。身体そのものが私たちの起源の歴史を語っているのです。」

第3幕 人類 
 アフリカのゆりかご、人類の形成、征服の道

 「まず、人類は同一の起源を持っていること、私たちはみな300万年前にアフリカで生まれたということです。こう考えれば、同胞愛の感情もおのずと生まれていますね。それから、忘れていけないのは、人類は長い自然との戦いをへて徐々に動物の世界から離脱し、その文化によって先天的条件を克服してきた、ということです。今日私たちは驚くほどの自由を獲得し、遺伝子を操作したり、試験管ベビーをつくったりもできるわけですが、一方で人間はとても脆弱な存在でもあります。もし赤ん坊が人間社会の外で育っていけば、その子にはどんな人間的な能力もなく、立って歩くことさえできず、何も習得できなくなってしまうでしょう。今日私たちの尊厳ともなり責務ともなっている、このもろく壊れやすい自由を獲得するまでには、宇宙、生命、人類の進化の全過程が必要でした。私たちが今宇宙や生命や人類の起源を問うのは、それからもっと自由になるためなのです。」

『世界でいちばん美しい物語』 
著 ユベール・リーヴズ/ジョエル・ド・ロネー/イヴ・コパンス/ドミニク・シモネ
訳 木村恵一  解説 池内了 (筑摩書房1998年) *今年の一月、ちくま文庫で刊行
                  
by mihira-ryosei | 2006-04-14 00:37 |

京桜洛風4 洛中の諸寺

 
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 西陣の真ん中(上立売智恵光院)にある雨宝院の鬱金(うこん)桜。黄緑色の花びらが開きはじめである。小さなお寺で、拝観自由。しかも世にも珍しい桜にもなんの説明もなし。それがいい。

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 雨法院から堀川通りへ出て、東に渡ると本法寺(小川通寺ノ内上ル)がある。この寺、本阿弥家の菩提寺で、光悦や長谷川等伯の墓がある。光悦デザインの庭園を見たければ拝観料500円、でなければ境内は拝観自由である。本堂の前の桜の格好がすこぶるよかったので紹介する。

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 本法寺からさらに東に向かおうとしてたまたま通りかかった寺、妙覚寺。枝垂れ桜が満開だった。桜の背景の山門は、秀吉の聚楽第の裏門を移築したものという。カメラを一斉に構えているおばはんの小さな群れに混じって、がんばって撮った写真。
 今日の3つの寺はいずれも桜がなければ一生知らないで終わったかもしれない。
by mihira-ryosei | 2006-04-09 01:44 | 京都なんでも
 
 
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今朝、「そうだ京都行こう」というテレビCMを見た。京都で目にすると変な感じだ。そのCMの主役、円山公園の枝垂れ桜を見物してきた。大変な人ごみであった。

 白川も人ヒトひとである。川の向こうのお店で舞妓さんをよんで豪勢に遊んでいるサラリーマン。一体どんな会社の人なんだろう。酒臭いおっさんが、「なにも見せびらかさんでもええやないか。腹立つ」と隣の女性に話していた。見せびらかしているのではなく、桜を見ながら飲んでいるだけだと思うのだが、気持ちはわかる。(下の写真とは無関係)
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 最後は桜の天井。

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by mihira-ryosei | 2006-04-08 01:23 | 京都なんでも
 4月6日朝、いつもより早く家をでて、上賀茂神社、平野神社を訪れてみた。
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 上賀茂神社では枝垂れ桜が満開だった。この桜、幕末の孝明天皇が神社の社家某に下賜したもので、明治6年の植えられたとのことである。孝明天皇といえば、攘夷の意思強固だったことで知られ、ゆえに薩長による毒殺説が囁かれている、悲運の天皇である。
 両袖を翼のように広げ舞う女性のような優美さを感じるが、夜見ると厚化粧の老婆が踊っているようにもみえる薄気味悪さも感じる。
(以下写真2枚)
 
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 平野神社。間もなく満開。夜は花見席が設けられ、賑わう。見上げると夜空一面に桜になる。

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by mihira-ryosei | 2006-04-07 08:25 | 京都なんでも
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 エスカレーター、立つ人と歩く人は、左右どちら側なのか。東京人は左側に立ち、大阪人は右側に立つというのが通説である。京都人はいたって中途半端で、どちらとも言いかねる。大阪に行くと見事に右側に立っているので、よしよしと思う。京都はその都度違う。この間、前の人たちは左側に立っていたが、僕が右側に立つと後の人たちは右側に立った。節操のない話である。エスカレーターのことは、よく東西の文化の違いとして例に出されるが、どこまで根深いものかよくわからない。全国的には東京と同じ左立ちであるようだ。一説によれば、大阪では万博のときに「国際基準」に合わせて右側に立つことにして以来という。本当に国際基準かどうかは怪しいものだが、韓国の百貨店ではみんな確かに右側に立っていた。ロンドンもパリも右側らしい。
 それしても、東西文化比較は実に面白いものである。肉ジャガに入れるのは東は豚で西は牛、東は豚まん西は肉まん、東はおにぎり西はおむすび、東はマックで西はマクド、東はバカで西はアホ、東はかつおで西はこんぶ、地名で谷を「ヤ」と読むのが東で「タニ」と読むのが西・・・・食べ物が多いけど、とにかくその差異についての材料には事欠かない。

 この東西の文化の違いを極めて真面目に学術的に研究した本が、『東と西の語る日本の歴史』である。著者は、網野善彦。中世史の視座から日本史の通説を次々と覆し、ダイナミックな歴史観をつくりあげた大学者である。だから単なるうんちく本ではない。
 この本の目的は、日本人は単一民族であるという強固な通念を打破することにある。この通念が、沖縄・アイヌ、朝鮮人、被差別部落民へのゆがんだ見方につながっている。したがって、(単一化しているとされてきた)「日本列島の東と西に生きた人びとの生活、文化、社会の違いに注目し、その差異が歴史の中にどのような作用を及ぼしてきたかを」明らかにするために、東西文化について、スケールの大きい根本的な検討をおこなったのがこの本である。
 考古学的にはなんと二万年前から東西間には差異が認められ、東西方言の対立は一千年以上前からなのだ。東西間の人口移動は現代に至っても僅少であり、そのことは方言のみならず、拒否的条件として習俗の相違があるのではないかと著者は述べる。宮本常一などの研究成果をもとに、産後の胎盤の埋め方は東が戸口西が縁の下、東のイロリ西のカマド、東のはかま西のふんどし、東の湯西の風呂などの例が次々とあげられる。最も根本的な問題としては、西の稲作、西から伝播した稲作を拒否し畠作文化を形成した東というテーマが、東の家父長制、イエ社会、主従制と西の母系的、ムラ、年齢階梯的、座的という社会構造の土台にかかわる差異につながっていく。これらのことを底流に、古代から江戸にいたる日本の歴史が再構成される。古代における西の船と東の馬、西の藤原純友と東の平将門、東国(武家)国家と西国(天皇)国家の対立、東国と九州、西国と東北という両タッグの政治力学を形作った平安末期の「太平記」時代、さらに朝鮮半島など東アジアの歴史も絡んできて、豚まんと肉まん話がここまで来るかというほど、深い、深い展開になる。
 難しいところは遠慮なくとばしてパラパラ読んでも十分読み応えがある。きわめて高度なうんちく本といえないこともない。

『東と西の語る日本の歴史』 網野善彦(講談社学術文庫)
by mihira-ryosei | 2006-04-01 23:48 |