オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

<   2006年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

e0065380_22314565.jpg

 韓国3日目。次なるオジマウルを探したが、取り壊されていた。5ヶ月前まで存在していたというのが悔しい。雨はずっと止まないし、台風の爪あとはひどい。ソウルに帰りたくなった。実は、今回の旅行にはもうひとつ目的があった。新しい家の玄関に飾る絵を探すことであった。美大出のO君にアドバイスをもらうつもりだった。
 しかし、このままではカンウォンドを後にできないとおもったのか、W君とR君、想像をこえる「名所」、「迷所」に案内してくれた。それが写真上の「ハンバンドチヒョン」(韓半島地形)である。・・・・もういいですね。要するにそういうことだから。それでこの「ハンバンドチヒョン」を眺めるバルコニーに、独島がどうしたとか、日本はどうしろとか、横断幕が張ってある。もう、帰ろうよ、ソウルに。
 そして、帰路、僕とOは、ひたすら醜いほど眠りこけていた。案内本当にご苦労様。そしてわがままばかりで、すいません。
e0065380_22325141.jpg

 R君は先に帰ってもらい、僕たちはホテルに再チェックインしてから、インサドン(仁寺洞)に向かった。日曜日だったので、大変な混雑ぶり。昔は書と芸術の街としてもう少し落ち着きがあったのだけど、今は、いつ梅宮辰ちゃんのなんとかという店ができても不思議ではない状況になってしまった気がする。画廊を片っ端からみてまわり、いい絵が見つかった。全羅南道、無等山(ムドゥンサン)の風景である。翌日までに梱包してもらうことにして、夕食だ。

e0065380_22343798.jpg

 ラストナイトの食事、帰りの車中、うつらうつらしながら、様々な候補が頭の中を去来していた。そして結局、O君には酷かもしれないが、ここはひとつこれぞ韓国というガツンと刺激のあるものをと、ナクチ料理を選択した。インサドンの近く、ムギョドン(武橋洞)はナクチが名物である。
 ナクチは小さい蛸である。この料理が韓国ではもっとも辛いものである。W君、O君と僕の三人に、昨年末の韓国旅行に同行してくれた、大学講師P女史が加わっての晩餐である。生きたままのナクチをぶつ切りにして、エゴマの葉に包んで口に放り込むサンナクチ。暑さのせいか、ナクチ君はなんとなく元気がないように思った。そして、ナクチチョルパンクイ(ナクチの鉄板焼)である。本来ならば、ナクチチョンゴル(ナクチの鍋、血の池のように赤い)、ナクチポックム(ナクチの炒め物、辛さNO1)なのだが、この店の名物がチョルパンクイというので注文する。やっぱり真っ赤。P女史ですら、「辛いですね~」といいながら食べている。でもP女史、「この辛さが食べたという実感です」とやはりうれしそう。真っ赤・・・サッカー韓国チームのカラーなんだな、これは・・・。O君がやや顔色が悪いが、日の丸を背負っているわけでもないのに、がんばっている。辛いものは辛いが、美味いものは美味い。
e0065380_2236690.jpg

 二次会は、チョンゲチョン(清渓川)を臨むビアホールで乾杯。一次会に引き続き、P女史が語った靖国問題についての本の出版計画をめぐって盛り上がる。こうして韓国の夜は更けていった。O君は翌日から、腹痛と下痢に悩まされ、帰国後1週間近くが経過しても、完治していないそうだ。心からお見舞い申し上げる。

e0065380_22373990.jpg

パソコンでハンコのデザインしますという見本。インサドンで。
by mihira-ryosei | 2006-08-27 22:38 | 韓国なんでも
e0065380_2202483.jpg
 
 カンウォンド最初の目的地は、御台山(オデサン)国立公園。豊かな自然とともに、寺院が散在し、石塔、鐘などの文化財がある。が、朝鮮半島はそのすべてが戦場とされてきた歴史がある。それについては、日本にも多くの責任がある。だから、古いものは残ってはいるが、少ない。またそれらがたとえ価値あるものだとしても、建造物がコンクリートだったりして興ざめすることがある。そのうえ、京都から来た人間は決定的な悪癖がある。他の文化財を軽んじることである。「この鐘やったら平等院のほうが立派やね・・」と、始末に悪い。せっかくW君、R君のナビなのに、さぞかし乗り気薄の表情をしていたんだろうな。
 e0065380_2215675.jpg次の目的はオジマウル。漢字では奥地村と書く。W君がわざわざ今回のために取り寄せてくれた本、1997年出版の「オジマウル探訪」を頼りに行く。三ヶ所のオジマウルを訪ねた。(写真上はそのひとつ) いずれも本にあったような実際に人が住む家、村ではなく、保存建造物になってしまっていた。しかし、それでも趣のあるものであった。降りしきる雨の中、一同、カメラのシャッターを押し続けていた。
(写真左は、オジマウルそばのトタンのつり橋。スリルがありました)










 
e0065380_222621.jpg

 
さあて晩飯である。テベク(太白)という町の一番新しいモーテルにチェックイン。韓国では、いわゆる「ラブホ」と普通の宿の境が曖昧である。部屋はきれいだけど、そんな感じもした。テベク(太白)は、映画にもなった韓国の大河小説「太白山脈」を連想させる。日本から解放された朝鮮半島が、左右の激烈な衝突の舞台となり、次々と家族、恋人が引き裂かれていく悲劇。日本語訳でも10巻で出版されている。僕は2巻でリタイヤしてしまった。そんなことはどうでもよくて、目当ては牛肉なのだ。これもW君の調査の成果、テベクのファンウ(黄牛)である。たぶんテベクまででかけてファンウを食べる人はいないと思うけど、店の名前は、「ペダル シギョク シルビ シクタン」、漢字にそのままあてはめると配達食肉実備食堂となる。要するにお肉屋さ
e0065380_22162361.jpg
んなのだ。BSE問題以来、韓国における牛肉の質の低下は目を覆うばかりである。韓牛といいながら、これまでいかに「おいしい米国産牛肉」に頼ってきたのかが、皮肉にも露呈されてしまったのではないか。だから本当に国産のおいしい牛肉は貴重品である。店は地元の人たちで満員。カルビを注文する。一人前21,000ウォン、ソウルだとこの倍出してもこんな美味い肉は口に入らない。日本の高級肉のような、霜降り肉ではない。つまり「あなた好みの肉になりたい」などと媚びるところがない、作為のない自然な肉とでもいおうか。歯ごたえがいい、香りがいい、味がいい。カンウォンド特有のあっさり辛いキムチも、この肉によく合う。仕上げは、素麺とテンジャンチゲ(味噌鍋)で。冷麺ではなく素麺というのはカンウォンド式なのか。
 
e0065380_22172773.jpg 

 食後、モーテルの一室に集まって、R君の指導よろしく習字大会。奇妙な教養風景。彼は若くして書道と漢詩の大家なのだ。その後、オジサンだから当然再び外に出る、飲みに出る。飲みにいった店にいた、気の強い大阪の女の子のような感じの女性が妙だった。「独島はどっちのものなの?」、(W君に向かって)「あなた伊藤博文を殺した安重根に似ている」などと挑発的だった。しかも、僕の歌う「運動圏ソング」(学生運動家および経験者たちが好んで歌う歌)は、完璧に歌えるのである。やっぱり、テベクと「太白山脈」とは無関係ではなかったのか。


e0065380_22212027.jpg

by mihira-ryosei | 2006-08-24 22:02 | 韓国なんでも
 
e0065380_1134572.jpg

 Hyundaiの4WD車は、この間の台風の爪あとも生々しい江原道(カンウォンド)に分け入っていく。しかも、雨である。前夜、関空から夜にソウル入りした。ホテルの近くで、慌しく、ヘムルタン(海物湯)を食べ、チャミスルを飲み、閉店間際に入ったビヤホールで店の女主人が、空き瓶や食べかすが散乱した机の上を片付けもせず、おばあさんとビールをがぶがぶ飲みながらも、外の机椅子で飲んでいた酔客が金も払わず帰ろうとすると飛び出し、笑顔でとっ捕まえ、金を払わせ、再び飲み始める光景に、僕たちは一気に韓国に来ていることを認識させられた。次に入ったショットバーで、友人O君はカメラを武器にかわいい女子と親しくなろうとする行為を僕はちゃっかり利用して、写真を送るからとメールアドレスを聞き出した。
 そんなアホみたいな前夜とは無関係にカンウォンド、雨の中を走る。
 昼食である。道路沿いの看板が目に留まり、車はUターンして食堂に向かう。看板には、チョングックチャンと書いてあった。O君が食べたいといっていた韓国の納豆味噌汁である。元来、韓国では納豆を食するという文化がない。あるのはこのチョングックチャンだけである。昔はじいさんの食べる臭いものと信じられてきたが、昨今の健康ブームでやや、人気が向上している。広い、清潔な店。僕とO君はためらわずチョングックチャン(写真上)を注文。今回、旅のナビをしてくれる大学の後輩W君、W君の韓国の大学の先輩R君は、ファンテヘジャンククック(写真下)を注文。ファンテは黄色い鯛の意味。干した鯛のスープである。カンウォンドの名物らしい。普通のヘジャンクック(解腸汁)とは様相が異なる。どちらかといえば、コンナムルクッパ(豆モヤシと棒ダラのスープ)に近い。
e0065380_11402362.jpg

 チョングックチャンは、濃厚熟成の韓国味噌と納豆という組み合わせであるが、味噌が素晴らしいのだろう。実にうまい。味が深い。このチョングックチャンは、この店で50年の歴史があるそうだ。ファンテヘジャンクックも40年とか、50年とか、歴史が強調されていた。朝鮮戦争で荒廃しきった韓国のど田舎に生まれ、軍事独裁から民政までを生き抜いてきたチョングックチャンか。
 
by mihira-ryosei | 2006-08-23 11:38 | 韓国なんでも
e0065380_152575.jpg
 
 「チャンジョリム」という衝動は、どのようなときに生まれるのだろう。ぶっきらぼうな、ただただ醤油辛いこの韓国料理を、「食べたい、つくりたい」と思うのはどういうことなのか。そんなことを考えながら、生協でいつものところにある、なじみはあるが、めったに手を出さない牛モモブロックのパックを見つめていた。
 そして三時間後、食卓にそれはあった。薩摩焼・先代の沈寿官の皿に当然のごとく、盛られている。
 あまりにも簡単にできてしまう。これでは手間隙をかけた料理を冒涜するものであろう。しかも、美味いのだから罪である。途中でなんどもつまみ食いするという欲望を抑止できない。
 チョンジョリム。料理の上手な母と違って、料理が下手な祖母の得意料理であった。たまにつくりおきしてあるのだが、裏の冷蔵庫に隠匿してあり、なかなか食べさせてもらえなかったのを覚えている。
 ウズラの卵、半額割引だったので、二ケース買い求めた。これをゆでる。肉をさいころステーキの半分ぐらいのサイズに切り刻む。よいブリスケ、すね肉が手に入れば、塊で煮てもいいのだ。繊維にそってピーッと裂いて、粉唐辛子をつけて食べても美味い。
 ニンニク十数粒、皮をむく。普通の青唐辛子がなかったので、伏見甘長唐辛子で代用。鍋に肉とニンニクと唐辛子、ウズラのゆで卵を放り込む。醤油をどぼどぼ注ぐ。こんなに野放図に醤油を入れていいものかという不安と闘いながら。気の弱い人は、ここで水を足してもいいですよ。お酒を入れてもいいですよ。みりんをいれてもいいですよ。本当は肉だけ煮て、茹でこぼしてから、「正規の手続き」をへてつくるという話もあるのだが、めんどうくさい。だから、どぼどぼ注ぎ込まれた醤油もアクといっしょに退場させられてしまうことになる。弱火で煮ればいい。その間、つまみ食いしない強靭な意志をもつ人がいれば、宮内庁から園遊会に招待されるであろう。
 肉を喰らい、汁をご飯にかけながら食べる。この幸福感を安易に与えることができるゆえに、チャンジョリムは、韓国において独自の地位を占める。
by mihira-ryosei | 2006-08-15 01:05 | キッチン
 首相参拝、A級戦犯合祀・分祀問題、アジア諸国との関係・・・靖国神社を果たしてこういう文脈だけで捉えてしまっていいものか。靖国と天皇制、日本人そしてアジアとの関係はもっと奥深く考えることが必要であろう。以下引用しているテーマの他にも、植民地統治のために現地の「番族」と戦った日本兵も、かたや戦争にかりだした植民地出身の軍人も合祀されていることなども重要である。どうやら「首相が参拝させしなければよい」、「A級戦犯を分祀しさえすればよい」というわけではなさそうだ。以下にdog earを。

e0065380_0255128.jpg


 日中戦争から太平洋戦争に至る時期、靖国神社では数千から万の単位で大量の戦死者を合祀する臨時大会が繰り返された。その際、北は樺太から西は満州、南は沖縄・台湾から遺族が選ばれて国費で東京に招かれ、戦死者を「神」として合祀する臨時大祭に列席した。それらの遺族が両側を埋め尽くす靖国の参道を霊璽簿(戦死者の名簿)を載せた御羽車が神官に担がれて本殿に移動し、祭主としての天皇が同じ道を通って参拝した。・・・「老婆」たちが口々に語る「ありがたい」「もったいない」という心情は、単なる建前とは思えないリアリティをたたえている。・・・「靖国さまにお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて。自分はもう、何も思い残すことはありません。今日が日に死んでも満足ですね、笑って死ねます」。・・・天皇の神社・靖国がその絶頂期に果たした精神的機能、すなわち、単に男たちを「護国の英霊」たるべき動機づけるだけでなく、「靖国の妻」、「靖国の母」、「靖国の遺児」など女性や子供たちを含めた、「国民」の生と死の意味そのものを吸収しつくす機能が典型的に表現されている。

 ・・・可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、「戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめざる可らず」、すなわち、戦死することが幸福であると感じさせるようにしなければならない、というのだ。ここには国家が戦死者に対して、「国のために死んだ名誉の死者」としてなぜ最大の栄誉を与えるのかについての、最も重要と思われる説明が見だされる。家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自ら国ための「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。

 赤澤史郎は・・・「戦死者は天皇と国家のために喜んで死んだ筈だというタテマエが、あらゆる戦死者の唯一の意味として押しつけられ、必ずしも喜んで死んだというばかりは言えないとか、遺族は靖国の英霊となったことを喜んでいるとは限らないとかいう解釈は、もっての外の「不忠不義」として斬り捨てられてしまう」と述べている。・・・靖国の祭り(祀り)を「悲しみ」の祭り(祀り)と考えることは困難である。それは悲しみを抑圧して戦死を顕彰せずにはいられない「国家の祭祀」なのである。
 
 小泉首相の反応は・・・驚くほど合理性を欠いているx。「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という現世で刑罰を受けている・・・死者に対してそれほど選別をしなければならないのか」。小泉首相の発言は、一国の指導者としてあまりに杜撰である。神社が問題になっているのに、「カミ」ではなく「ホトケサマ」と言い、靖国に違和感を持つ日本人キリスト者などの感情を無視して、「日本人の国民感情」を語る。靖国神社に合祀されたA級戦犯のうち、死刑に処せられたのは東条英機首相ら七名のみで、残りの七名は病死・獄死者であるのに、A級戦犯すべてが死刑になったかのように語っている。

e0065380_0264850.jpg
 A級戦犯分祀論は靖国問題における歴史認識を深化させるものではなく、むしろ反対にその深化を妨げるものであるということである。靖国問題をA級戦犯分祀論として語ることは、一見すると戦争責任問題を重視しているように見えるけれども、実際はまったく逆で、戦争責任問題を(A級戦犯に)矮小化し、そしてそれだけでなく、より本質的な歴史認識の問題も見えなくしてしまう効果をもつ。

 「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志にかかわりなく行われたのである」という池田権宮司の発言によくよく注意しなければならない。もしそうであるとするなら、無視されているのは合祀廃絶を求める遺族の意志・感情だけではない。戦死した家族の合祀を求める遺族の意志・感情も、いわばたまたま「天皇の意志」に合致しているにすぎないのである。本質的には、無視されていることに変わりはないのだ。
つまり、靖国神社は本質的に遺族の意志・感情を無視する施設である。

 文化としての「死者との共生感」を言うなら、なぜ靖国は日本の戦死者の中でも軍人軍属だけを祀り、民間人死者を祀らないのか。たとえば、沖縄の摩文仁の丘に立ち、海を見つめれば、沖縄戦で戦死した人々に思いを馳せることもできよう。しかし、靖国はその夥しい死者のなかから、日本軍の軍人軍属のみを選び出して合祀し、軍人軍属より多数にのぼったと言われる民間人の死者には目もくれない。



『靖国問題』 高橋哲哉 (ちくま新書)
by mihira-ryosei | 2006-08-12 00:27 |

e0065380_19411541.jpg
 日本ラグビーを代表する人物、大西鐵之祐という人物をとことん掘り下げた本である。スポーツジャンルの本では、間違いなく傑作。ラグビーというスポーツの魅力をこんなに見事に描いた本はないと思うし、大西鐵之祐という人物は、ラグビーのみならず、教育や人間関係、組織論、さらには平和にまで、思索を広げてくれる。筆者の飛びぬけた力量のなせる業であろう。この秋から、ラグビーというスポーツにかかわることになったので手にとってみたのだが、その内容の深さに驚嘆した。『オシムの言葉』が売れているようだが、オシムと大西鐵之祐に共通しているのは、苛烈な戦争体験である。このことは決して偶然ではないだろうと思う。以下、僕が、折り目、dog ear
をつけたところから引用。

 大西が新人の1934年度、早稲田は全勝をかけた明治戦に敗れた。・・・早稲田大学正門そばのレストラン「高田牧舎」にて残念会が開かれる。そこで、奈良より上京して一年に満たぬ大西鐵之祐は、瞬時のうちにラグビーの虜と化すのである。最上級のレギュラー選手が、大西のようなインゴール組にも、「すまなかった」と頭を下げて酒をつぎにくる。慰労の言葉をかけるOBの献身、「来年は勝つ」と誓う部員の叫び。個人競技出身の大西は驚き、感激し、奮い立った。「みんなワーッと泣いた。その雰囲気に僕は、一流のラグビーはすばらしいものだということをつくづく感じた。このとき僕のラグビーというものとの本当の出会いでしょうね。」(『ラグビー 荒ぶる魂』大西鐵之祐著)
e0065380_19381168.jpg

 「実際、戦争に直面すると、人間の理性などと言われているものは、なんの歯止めにもならない。戦闘をやって自分の戦友が殺されたりすると、その戦闘が終わって敵の捕虜などを捕らえると、まるで物を扱うように殺してしまう。・・・従って。スポーツのような闘争の場面で何かアンフェアな行動をする前に、「ちょっと待てよ」とブレーキをかけることのできるような人間にする、そういう教育が重要ではないかと考えるのである。私がスポーツにおける闘争を教育上いちばん重要視するのは、たとえばラグビーで今この敵の頭を蹴っていったならば勝てるというような場合、ちょっと待て、それはきたないことだ、と二律背反の心の葛藤を自分でコントロールできること、これがスポーツの最高の教育的価値ではないかと考えるからである。・・・・判断する材料とか、判断することを教えることはできるが、判断した通りに行うということは、その場面を与えられた人間にしかできないのではないか。だから人間が人間を教育する場合にいちばん肝心なことは、双方の間に絶対的な愛情と信頼があり、そのとき正しいと思うことを死を賭しても断固として実行できる意思と習性をつくりあげることだといえよう」(『闘争の倫理』大西鐵之祐著)最後のくだりは、なんと表現するのか、とても攻撃的である。大西は言い切る。死を賭して「狂気の沙汰」を回避させよ。つまり闘争を忘れぬ反戦思想である。

 ロッカー室。・・・・大西監督が白い徳利と盃を携えて入ってくる。無言。ひとりずつ水盃を短く干す。大西へ盃は戻った。口に含む。床へ叩きつけた。
「手を握ろう」
そして有名な言葉。
「歴史の創造者たれ」
予定を5分ほど遅れたジャパン先蹴のキックオフ。小笠原が鋼の身をイングランドの白い壁へぶつけた。

 1977年度、早稲田学院の初の花園出場時のスクラムハーフ、佐々木卓による「大西鐵之祐の定義」が面白い。「百の理屈を教え込んで百一番目には理屈じゃないと断言できる人」

 「うしろから機銃掃射されてみい。みな十一秒台で走っとるがな」
大西は、よく、ラグビー部員を前にしてのミーティングやティーチィングで例に引いた。人間のベストの限界を知れ。・・・・「マラソンの瀬古なんか、35キロ過ぎたら、撃てばいいんだ。背中めがけて。絶対に優勝だよ」なかば本気なのだ。「だいたい駄目だと思ったあたりで限界の七割だ」は持論だった。・・・大西は戦場で思い知った。

 コーチの資質に、「他者への関心」は欠かせない。いかに名手でも、他人に興味のわかない性格では、本物の指導者は務まらない。せいぜい技術アドバイザーが精一杯だ。大西には他者への関心があった。そしてそれが愛情へと昇華を遂げるのだ。コーチに最も必要な資質とは。大西に問うてみた。即答だった。
 「そこにいる人間を愛する能力だ。これは天性なんだ。ない人間にはないんだよ」

『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐』 藤島大 (文春文庫)
by mihira-ryosei | 2006-08-06 19:35 |
 昨日、名曲「君が15歳の」の作詞家、コピーライターのTTからメールが届いた。同窓会五次会以降のことが書かれてあった。よく読むと九次会までやったのか・・・。あまりにバカバカしいので本人の同意のもと、当ブログに掲載することにした。同窓生のプライバシーにかかわるところ、やばいところは僕が修正した。


 いろいろ、お疲れ様。
 同窓会の感想は、いっぱい、いっぱい。カンタンに語れませんが、やって良かったと
思っています。幹事、関係者全員に感謝。参加者みんなに感謝感謝。
で、その後に関して、報告をしておきます。
 椿やのあと、江坂のカラオケ・ジャンボで5次会。元アイドル(ホント!)で元野球部のYMが、フォーリーヴスや少年隊を熱唱した。うまい、発声が違う、歌詞をすべてちゃんと歌っている。他のみんなもたくさん歌った。踊ってるカップルもあり。元野球部FTは、長渕剛が選曲されると「俺の歌」と言って、マイクを奪っていた。元野球&バスケ部のTSは、入口のソファで寝たまま。参加者は15~20人ぐらいだったか。始発まで、歌っていた。
 カラオケを出たあと、北急に乗車。ぼくは、フラフラと桃山台で降りたそうです。ここから記憶なし。気が付くと、また地下鉄に乗っている。場所は、昭和町か西田辺。そして、鞄がない。カラオケに忘れたのであろうと、江坂にもどることにしました。が、また眠ってしまい、目覚めると大国町かどっか。その後も寝る、起きるを繰り返し、なかなか江坂に行けない。途中、なんばで立ち食いそばを食べて、忘れ物センターに行って、ようやく江坂のカラオケへ。でも、鞄はない。ヘトヘトになって家に着いたのが10時30分。
 その後、家で睡眠。椿やへ電話したり、不動産屋&貸スタジオ経営のTM(レコーディングで活躍)から電話があったりしたような、ないような(未平ではありません。念のため)、ごはんは食べたかどうか。熟睡せず、うとうとしながら、なんか同窓会の夢をみてた気がします。
 20時前に、元野球部・不動産屋のIJから電話。YMと千里中央の八角で飲んでいるから、来ーへんか。今朝、今晩飲む約束したやん。京都から、TMも来るという。こんなとき、ぼくは断らない。シャワーを浴びて出かける。IJとYMに、今朝のことを報告して笑われる。別に、鞄には大したものは入っていなかったので、かまわないのですが。ちなみに、7月はじめの打合せではOK(度々登場しているドスケベのグラフィックデザイナー)がケータイをなくした。1月の集まりでは、Tが名刺入れをなくした。Tの名刺入れには、カードや宅建免許も入っていて大変だったそうです。
 ビールを飲んでいるうちに、TMが来る。椿やへ行く。IJが、なぜか海外旅行の話をはじめて、いちばんいい飛行機は、○○○○○○航空であると断言。キャビン・アテンダントがダントツで美人、しかも制服が色っぽい。スリットから太股が見えるのもいいが、そこを気にするのは素人、玄人は胸元に注目。かがむと、さきっちょまで見えるという。この意見に、YMも賛同。大きな声で、どうやったら自然に覗けるかを、ふたりでしゃべって盛り上がっていた。
椿やの店員の女の子や他のお客さんもいるのだから、話題を変えるか、小さな声でしゃべれと言うがやめない。ふたりは、仲がいい。こういうのを、英雄は英雄を知る、というのでしょうか(違うと思う)。
※教えてあげよう。和食のお弁当を頼むのが、いいらしいです。ワゴンの下の奥の方に置いてあるから。
 中学の話をしようと、強引に話題を転換。長年の懸案事項であった、九中同級生男子でナンバー1でもてたのは誰かを語り合いました。その結果、YM「俺のファンは、粒より。IJを見に来ていた女は、カスばっかり」、IJ「カスであろうが、数は俺の方が多い。選挙でも、票数が多い方が勝ち」ということで、チャンピオンはIJになりました。ただし、質のチャンピオンはYMという注意書きを、必ず添えないといけないそうです。こんなことに、30年以上こだわり続ける男も珍しいと思うのですが。ふたりは、卒業式のとき後輩女子のためにサイン会を開き、すべて書き終わるまで2時間以上もかかったとも言ってました。同窓会のネット投票で、最終決着をつけよかとの意見もあり。そのうち、唐突にHPに「男子ナンバー1決定戦」コンテンツが登場するかもしれません。ただし、女子ナンバー1は、いろいろ問題がありそうなので、決定戦は行わないことにしました。

 バカな話をしているうちに、元サッカー部&親方のKYも参加。H女史とナンバー1とナンバー2、ベスト10にも入らない、TM、KY、ぼくとで、またカラオケ・ジャンボに行きました。YMは、いまもカラオケスクールに関係していて、ときどき先生役をしているとか。ほんなら、H女史を指導してみろと言うと、ほんとにやってくれた。YM「音程は、しっかりしている。音痴ではない。あとは自信。自信は、練習と回数」とかなんとか言って教えていると、H女史が確かに上達してきたような気がしてきました。やっぱり、玄人はすごいものです。彼YMの今の本業は、テレビショッピングの広告。元アイドルで職場結婚した奥さんが、テレビショッピング専門のチャンネルで、通信販売のガイドをしていて人気者になっているそうです。いまは、スッポンを担当。ただし、いつ放送するのかは前もってなかなか分からない。奥さんを見たいのなら、1日中テレビを見続けなければならないと言ってました。
 
 カラオケから出たのは、午前3時頃か。TMは、その前に、京都から奥さんがクルマで迎えに来てくれて帰宅しました。残りのメンバーは、H女史のマンションで飲み直し。ですが、ぼくはここでダウン。5時に起こされて、帰宅。今日は10時頃に起床し、12時すぎに出社しました。本日は半休をとっているので、遅刻ではありません。
やれやれ。
 さきほど、三次会しか出席できなかったTFからメールあり。「同窓会では、話ができないで残念。月曜日はあいている」と書いてあり、どうしようかなぁと迷っている、ぼく。
by mihira-ryosei | 2006-08-01 23:17 | よろずヨロカジ