オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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この本の締めくくりは、こうである。
 「幕末日本の大方が攘夷で沸きたっており、その中心に天皇・朝廷がいたという神国思想や大国主義で色揚げされた物語こそ、本文でのべたように、「無稽の謬説」の一つであった。その物語は、近代日本がつくり出した、新しい天皇制近代国家の創生「神話」にほかならなかった。」
 
 歴史の通説をひっくり返すという行為は、愉快なものだが、その動機によっては危険な意図が見え隠れすることがある。「美しい国・日本」などということばも、憲法や教育基本法の昨今のありようを考えると、日本人の歴史認識に巧妙に働きかけ、盲目的な復古主義を喚起する可能性なしとしない。ところで、本書がひっくり返した通説は、きわめて重大なもので、近代の日本人の歴史認識を形成している土台をつくりかえようとする作業なのである。
 江戸幕府の圧制にあえぐ庶民、世界に著しく遅れた後進国家、迫る西欧諸国の侵略、沸き立つ攘夷の声、幕府の動揺と無能、雄藩の台頭、朝廷を中心とする近代国家の構想、文明開化・・・これらのことすべてに再検討を求めているのが、本書である。
 僕も大変な刺激をうけた。この言説を検討すると、司馬遼太郎の幕末・維新、明治観も、かなり書き換えなければならないのではないか。
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 江戸幕府下においては、成熟した社会が形成され、庶民の提言も受け入れる柔軟な統治もおこなわれていた。差し迫る西欧諸国の危機など存在せず、攘夷を叫ぶ孝明天皇(写真)をはじめとする朝廷こそ開明派の大名からも無謀な冒険主義との批判を受けていた。このような状況でも、むしろ幕府外交は高い水準を持っていた。幕府の近代国家構想こそがよほどリベラルであった。他方、文明開化などというが、明治政府の圧制は江戸時代の比ではない、苛斂誅求ともいうべきものであった。そしてこの幕末・維新の歩みが、日清日露戦争から、第一次世界大戦、第二世界大戦を経て、日本の無残な敗北までを必然としたのである。
 
 「プチャーチンの秘書として同席した文豪ゴンチャロフの『日本渡航記』によれば、闊達、陽気な川路(外交交渉にあたった幕臣)は、立派な贈り物を例にあげて、「日本人は、なにもかも渡して素っ裸になってしまうでしょう」とロシア側全員を笑わせ、自分も笑いながら、交渉を打ち切って、「貴族らしく悠然と立ち上がった」。
 印象深い場面であるが、川路の応答は、たしかな道理を述べているのである。貿易が国を富ますという説に、川路は同意しなかった。一方、値安のものを交換するのが利益だという説には、「道理」と賛意をあらわす。後者はプチャーチンの言うとおりである。だが、前者は、国と国との経済力の格差が大きいときに不用意に貿易関係に入ると、後発国の在来産業は深刻な打撃をうけてしまう。「通商は国の痛みに」なるのである。」
 
 今の日本外交より、はるかにましだ。

 「オールコック(初代イギリス公使)は、下関四国連合艦隊砲撃事件をリードした対日強硬派であり、日本を「半ば未開の東洋の一国民」と見ていた。だが、時に違う観察が紛れ込む。1860(万延元)年、富士山に登頂した帰り道、伊豆の韮山あたりの「小さな居心地のよさそうな村落や家々」を通りかかったときの彼の述懐である。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し、呻吟させられている抑圧について」、「かねてから多くのことを聞いて」いる。だが、「これらのよく耕作された谷間」でひじょうなゆたかさのなかで家庭を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民」を眼にすると。これが「圧制に苦しみ、過酷税金を取り立てられて窮乏している土地」だとは「とても信じがたい」と。」

 「農民の暴力的な蜂起というという百姓一揆像も、事実と違っていることが分かってきた。・・・「あえて人命をそこなう得物はもたず」、非暴力的蜂起という点が江戸日本に普遍的な原則であった。事実、江戸時代、3200件ほどの一揆のなかで、竹槍による殺害の事例は、わずか2件だけであった。・・・従来、駕籠訴は重罪、本人は獄門といわれてきた。だが、最近の研究によれば、駕籠訴は、要求に道理があれば、事実上、認められていたのである。・・・江戸幕府の支配の強さは、訴訟を禁止し、百姓を力で圧倒したことにあるのではなかった。訴願を受け付け、献策を容れる「柔軟性のある支配」に、その持続の秘密があった。」

 「幕末後半期・・・日本に最大の影響力をもつイギリス外交は、中立、不介入の路線を確定し ており、それを明確に表明していた。イギリスの判断の基礎には、列強の勢力均衡という日本の地勢、日本の政治統合の高さ、イギリス海軍の能力の限度、貿易のおおむね順調な発展、大名の攘夷運動の終息、西南雄藩の開明派の台頭などがあり、中立、不介入の方針は確立されていた。」

 「日本に国際的な重大な軍事的危機が迫っていたわけではないのである。対外的危機からの脱出がなにをおいても必要だったという国際関係を前提に急進的な政治革新を必然的なものと描き出す見解が、従来有力なのだが、冷静に再考されるべきである。」

 「西周の幕府国家構想では、朝廷の公家は山城国(京都府南部)から「外出」できず、外出しても「平人」と均しくあつかわれるなど、朝廷の特権が大幅に制限されていた。維新政府の権威主義的な天皇制国家より、リベラルな国家をめざしていたのである。」

 「社会が必要とする勤勉や、規律や衛生は、実は、江戸民衆社会に、欧米のそれとは、形態が違っていたかもしれないが、成熟をとげた形で存在したのである。役所や懲役場、はては病院までも、明治初期のうちこわしで、「焼き打ち」の攻撃対象になったことの意味が、ここにある。とりわけ激しい反発をよんだのは血税と的確に批判された徴兵であった。兵役といわれても、実際に当時の日本に欧米の侵略の危機があっただろうか。・・・一年半も、政府の要人がこぞって欧米を回覧する当時、国際的な戦争が迫る危機は、情勢としてまったくなかったのである。・・・・無理やりの欧米化、そして万国対峙という大国主義、これが、討幕派という少数派が、新政府の要人になるときから、政治の基本として身につけていたものだった。

  『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』 井上勝生 (岩波新書)
 
by mihira-ryosei | 2007-01-20 10:38 |
 
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 年齢を重ねたことと関係があるのか、嗜好が鮮明になってきたのか、よくわからないけど、市販のルーでつくったカレーがちょっと苦手になってきた。ベトベトした脂っぽさが。
市販のルーを使わずに、カレーを作るには、本来「アメ玉」が必要だ。小麦粉とたまねぎを、根気強く、飴色になるまで、じっくり炒めてつくる。
 今回は、テールスープを使ったカレーを作ってみたのだが、「アメ玉」作りを回避して、短時間でつくる方法に挑戦した。たまねぎ、ニンニク、ミンチ肉をカレー粉と炒め、酒、薄力粉、カレー粉、塩、胡椒を加え、さらに炒める。次に、カボチャ、トマトを刻んで入れ、スープ(または水)を注いで、あとは、ウスターソースやケチャップやローリエの葉や粉末ブイヨンや、なんやかんや入れてつくってみた。僕は、口当たりがさらっとしていて好きだけど。息子の反応はやや冷ややか。やっぱり市販のルーには勝てないのか。
 カレーは1週間まえの話。このとき併せて、センマイとミノにも飽きたので、味噌とみりんで煮詰めて、居酒屋メニュー「どて焼き」にしてみた。
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 今日は、職場の若手を招待して、夕食を食べた。午後からすべてを料理に費やしたことになる。ところが写真をとるのを忘れていた。
 せめて、メニューを記しておくことにしよう。
①ちょこっと鯛・平目・マグロの刺身-塩昆布をのせて
②クレソンチャーハンのおにぎり バター、ベーコン、ワイン・コンソメ風味でご飯を炒め、クレソ  ンを合えたものをおにぎりに
③ローストポットポーク 昔々、庄野真代の料理本で見てからのレパートリー 鍋に野菜を敷き 詰めて、豚のブロックを蒸す。砂糖とお酒(シェリー酒かラム酒がいいと思うけど、なかったの でブランデー)でかるく火を通した軸切りのりんご、クレソンをスライスした豚にのせて食べる、
④マーボー豆腐
⑤高麗ニンジンとチキンのスープ(当ブログで過去に紹介)
⑥水菜とローストビーフのサラダ ゆず胡椒とオリーブオイル・ごま油風味
⑦ブロッコリーとアンチョビーのスパゲチィ・ペペロンチーノ
⑧トック

  
by mihira-ryosei | 2007-01-14 02:09 | キッチン
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買出しと準備
 
 年末だからと、クラシックのCDを持ち込んで出発。ベートーベンの第9は、ノリがよろしい。しばしばハンドルから手が離れる。近江畜業に行く。年末、もう市場はないので冷凍しかないとのこと。テールとハチノスを購入。ハチノスはもうないといっていたのだが、おやじが冷凍庫の隅から、「最後の一つ」と持ってきた。東九条の丸橋商店に行く。案の定、テールもハチノスもない。前回買ったミノを買うことにする。近くの小さな商店で、豆もやしを入手。こんなしっかりした豆は、なかなかない。根をとったものキロ400円、とってないものキロ250円。二日後の大晦日。調理開始。解答したハチノスの「掃除」をはじめて、驚いた。ハチノスではなくセンマイだった。とにかく、「掃除」。ゆうに二時間を越えた。

料理1 ナムル盛り合わせ
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 □ほうれんそう 
   ほうれん草を軽く茹で、ごま油、塩、すりゴマで和える。
 □豆もやし 
   塩を振った水に豆もやしを入れて、煮る。沸騰したら、弱火でさらに15分程度。臭みが残る  ので途中でふたをとってはいけません。ごま油、塩、すりゴマ、すりニンニク。気分で粉唐辛  子、刻みネギもあり。
 □ニンジンと大根
   塩をふって、しんなりしたら、塩を洗い落とし、酢、すりゴマ、粉唐辛子、砂糖で和える。
 □ぜんまい
    炒め派、煮詰め派がいるが、僕は面倒くさくない煮詰め派である。しょうゆ、ごま油、すり  ゴマ、すりニンニク、コチュジャン、粉唐辛子、水でタレをつくり、牛肉(ミンチでもいい)を加え  て、弱火でコトコト煮込む。

料理2 ジョン
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 法事など韓国の家庭行事には欠かせないもの。モノに塩コショウ、小麦粉をまぶし、卵をからませて、焼く。それだけ。モノは、牛肉の赤み、タラの身、シイタケ、ごぼうとニンジンの「筏」など。課題はいかに鮮やかな黄色に焼くかということ。僕の母は、卵は黄身だけを使っていた。卵がみるみるうちに、無くなること請け合いだが。また、ごま油を卵に入れていたとの嫁軍団の情報もある。
 チョジャン(後述)か、カンジャンヤンニョムジャンをつけて食べる。カンジャンヤンニョムジャンは、醤油、すりニンニク、刻みネギ、すりゴマ、砂糖でつくる。

料理3 テールとモツのスープ
 たびたびとりあげているので、今回はコメントなし。 

料理4 トリッパ モツのトマト煮込み
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 センマイとミノがたくさんだったので、つくってみたイタリアン。オリーブオイルでニンニクと生姜のみじん切りを炒め、さらにたまねぎ、ニンジンを炒め、ついで、火を通したセンマイとミノも炒める。そこにホールトマトを加え、塩、胡椒、ワインで味を調えながら、ローリエなんぞも加えて煮込むのである。

料理5 韓国ハンバーグ
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 牛ミンチをすりニンニク、ごま油、薄力粉を加えて、練りに練る。これを醤油と酒と砂糖でコトコト煮る。 

料理6 豆もやし炊き込みご飯
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 ナムルと同じ要領で豆もやしを茹でる。煮汁に醤油と塩で味付けして、豆もやしをのせてご飯を炊く。別に、ニンニクと醤油と砂糖で味付けした牛ミンチを炒めておく。ご飯が炊き上がると、お椀に盛って、牛ミンチとヤンニョムジャンをのせて食べる。これは本当に美味い。

料理7 蒸し豚&キムチ

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 キムチの星山の蒸し豚とキムチで食べる。キムチの減りが気になったので、チョジャンをつくって、豚はこっちにつけてもいいよと誘導した。チョジャンは、酢、コチュジャン、すりゴマ、砂糖で。

料理8 トック 
 韓国のお雑煮ともいうべきもので、テールスープを使ってみた。牛肉をごま油で炒め、スープを加え、塩、しょうゆで味を調え、水洗いしてざるで水切りしていたトックを放り込んで、溶き卵を入れ、器に移し、ネギと海苔をのせて食べる。
by mihira-ryosei | 2007-01-08 01:18 | キッチン

Q-Chews `74 初ライヴ報告

 
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 年が改まって、もう1週間になろうというのに、年末の初ライヴのことについて。T君、バンドの大黒柱かつ僕たちの練習場・スタジオ・BIT(北大路堀川)を経営する彼が、主催するクリスマスパーティーが、デビューの場だった。彼の会社、1階が不動産(アップルコーポレーション)、2階がインターネットカフェ(リサ)、3階がスタジオになっている。パーティーは、インターネットカフェを改造して、ミニミニライブ会場を設営。
 入場券は、ショートケーキという粋なはからい。入場者の多くは、ライヴ出場者で、普段、スタジオを利用している学生たちなのである。それに近所のおじさん、おばさんという、「ロストゼネレーション」世代(25~35歳)が完全に欠落した構成になっている。
 僕はフードメニューでお手伝い。といってもアイディアだけだけど。キムチ焼き飯を韓国海苔で包んだのと、すりゴマをまぶしご飯をゴマの葉の醤油漬けで包んだおにぎり2種を提案した。蒸し豚にキムチのっけて食するのも好評だった。
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 さてライヴである。学生たちはどっちかといえば、いつものマジな姿ではなく、どっちかといえば、「はじめてギターに挑戦」みたいな「かくし芸」的な出場の仕方なのだ。それにたいして、彼らの親の世代のこっちは、いたって真面目、真剣に出場という、滑稽な光景になってしまった。ドラムのF君が参加できず、急きょ、ユカちゃんという女子学生のドラマーに助っ人を依頼した。直前のリハーサルで、彼女のドラムの力強さに圧倒される。若い!速い!強い!歯切れいい!音楽はこうでなくては。
 1曲目、オリジナル「君が15歳の」。ドラムが入らない。それで緊張した僕のリズムが徐々に早くなってしまう。まあなんとか破綻は免れたものの厳しいデビュー。二曲目、「イマジン」。救世主ユカちゃん登場。彼女の刻むリズムを頼りに、まあなんとか歌えた。予想通り、おじさん、おばさんに受けが良さそう。三曲目、「デイドリームビリーバー」。もう開き直って声を張り上げる。曲がいいよな。ベースのS君(がんばってました)、ギターのT君(個人練習の成果あり)、キーボードのKさん(やっぱりうまいな)、がんばったね。楽しかったね。
思い起こせば、昨年7月同窓会、9月バンド結成、12月バンド命名、月1回の練習をやってきた。ちなみにバンド名は、豊中九中からとったもの。
 「カラオケとかじゃなくて、人前で歌うのははじめてで・・」というと、来ていたこぴライターのT君は、「ウソや」といってたけど、やっぱり記憶がない。グラフィックデザイナーのO君の高校時代の美術塾のパーティーでうたったぐらいかな。30年前になるけど。
 パーティーの終わりに、もう一度僕一人で登場。今度は弾き語り。安請け合いしていたのだ。1曲目、「アッチミスル」(朝の露)。韓国の歌。韓国独裁政権時代に放送禁止になったことのある「第2の国家」といっていい名曲。2曲目、「この想い」。このブログでもとりあげた坂庭省吾が歌っていたアメリカンモダンフォークの曲。どちらもしんみんりした曲だったけど、なんとか聴いてもらえた。意外と、「アッチミスル」の評判がよかった。韓流にどっぷりとつかっているおばさんからは、「来年は、アンジェウックのフォエバー歌ってね」といわれた。どんな曲や知らんけど、練習しなあかんな。
 ライブが終わってからは、学生たちと、どれどれと飲んで、わけわからなくなって、深夜、帰宅となった。みなさんご苦労様、ありがとうございました。
 みんな興奮の様子で、いつもはこういうことは逃さないT君ですら写真を残していなかった。それでライヴの様子を伝えることができなくて残念。
by mihira-ryosei | 2007-01-06 13:23 | Q-Chews