オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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<   2007年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 
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 ビートルズのレコーディング・スタッフであった、ジェフ・エメリックの本である。ビールズが、ライヴ・ミュージシャンであることを辞め、スタジオでの創作活動に専念し始め<リボルバー>を発表し、<アビイ・ロード>で解散するまでの、生々しい克明な記録である。600ページ近くの大著を、あっというまに読み終えてしまった。
リバプールからロンドンにやってきた革命的バンド、このことの意味については考えたことがなかったが、どうやら、昔なら青森や根室から、東京に突然凄いのが現れたような衝撃だったにちがいない。ビートルズのひとりひとり、とりわけジョンとポールが発する才能のオーラは、エネルギーをスタジオに充満させ、熱伝導のようにスタッフにも伝わり、前例を次々と覆すとレコーディング手法にチャレンジさせ、音楽の革命を成し遂げる。そしてその熱量が頂点に達したとき、破綻が生まれ、友情が壊れ、終焉を迎える。その現場の証人でありつづけた筆者。
 この本、感慨は尽きることがない。そして、この本をよんでからというもの、ビートルズばかり聞いている。
 

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 ポールは几帳面で計画的なタイプだ――いつもノートを持ち歩き、読みやすい字で、歌詞やコード進行を書き留めていた。対照的にジョンは、いつも混乱をきたしているようにみえた――思いついたアイディアを走り書きしようと、しょっちゅう紙切れを探しまわっていた。ポールは生来のコミュニケーション上手だった――ジョンは自分のアイディアをうまく言葉にできなかった。ポールは外交家だった――ジョンは扇動家だった。ポールは口調がやわらかく、滅多に礼を失しなかった――ジョンは大口叩きで、かなり無礼な男だった。ポールはあるパートを完璧に仕上げるために、長い時間を費やすことも厭わなかった-ジョンはせっかちで、すぐにあたらしいことをやりたがった。ポールはたいてい、自分が求めるものを正確に把握し、批判を受けると気分を害した――ジョンはずっと神経が太く、他人の意見をオープンに聞き入れた。事実、特に強い思い入れがないかぎり、彼はたいてい変更を受け入れていた。(6 ハード・デイズ・ナイト)

 あのビートルズが・・・と信じられないことだが、録音コストには気を使わざるを得なかったようだ。<イエローサブマリン>のブラスは、著作権惜しさに、既存の演奏を切り刻んで、再生してつかったというエピソード。

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 ジョージ(マーティン)は・・・・ぼくに今日の一部をまっさらの2トラックに・テープに録音させた。そしてそのテープに録音させた。そしてそのテープを細かく切り、空中に放り投げ、そのあとでまたつなぎあわせるように指示した。そうすればランダムな並びになるだろうと考えてのことだったが、実際につなぎ合わせてみると、ほぼ原型どおりに仕上がっていた!
(7 創意と工夫――《リボルバー》の舞台裏)

 傑作が生まれる瞬間にたちあえる感動とはどのようなものだろう。ビートルズに様々な軋みが生じていた後期にも、メンバーの傑作を認め、それをいっそうよいものにしていこうという意欲があったそんなことを感じさせてくれるシーンである。

 
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 最初の音を聞いた瞬間、ジョンの傑作だとわかった。彼がつくりだしたのは、「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」と呼ばれる謎めいた場所への優しさあふれる、ほとんど神秘的とさえいえそうな賛歌だった。歌詞の題材がなんなのか、ぼくにはさっぱり見当がつかなかったけれど、まるで抽象詩のように言葉ひとつひとつが力を持っていたし、ジョンの声も幽玄で、どこか魔法めいた感触があった。彼がうたい終わっても、みんな圧倒されて押し黙っていた。と、ポールがその沈黙を破り、敬意をにじませたもの静かな声で、ひとこと「最高だ」といった。・・・・すぐさまレコーディングにとりかかりたい。スタジオにはグループの創造力が、一気に噴出したような感じだった。

 <ア・デイ・インザライフ>をめぐるエピソードである。

 
 ジョンにはひとつアイディアがあった。ものすごく小さな音が次第に大きくなり、ついにはなにもかも飲みこんでしまうという、いつものように抽象的なアイディアだった。するとそれに乗ったポールが興奮気味に、フル・オーケストラを呼ぶのはどうだろうと提案した。ジョージ・マーティンもその案を気に入ったが、同時にコスト意識も忘れず、わずか24小節のために。90人編成のフル・オーケストラを呼ぶなどという大判ぶるまいをEMIが許すはずがないと主張した。解決策を思いついたのは、意外にもリンゴだった。「だったら」彼は冗談のようにいった。「オーケストラを半分だけ雇って、1、2回弾かせりゃいいだろ」 全員がこのアイディアのシンプルさ―― あるいは無邪気さ―― に意表をつかれ、一瞬きょとんとした顔になった。 「おいリング(あだな)、そりゃ悪くないアイディアだぞ」ポールがいった。「だがきみたち、それでもコストの問題は・・・・」ジョージ・マーティンが遠慮がちに異議を唱える。議論に終止符をうったのはジョンだった。「もうよい、ヘンリー」命令を下す王様のような声で彼はいった。「おしゃべりはもう飽き飽きだ。とっととやってしまえ。」 (8 ここにいられて最高です。ほんとにわくわくしています ――《サージェント・ペパーズ》のスタート)

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「最後」に友情とチームワークが発揮された<ウィズ・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ>

 果敢にヴォーカルに挑む彼を、三人の仲間が取り囲み、マイクの数インチうしろから、声を出さずにはげましたり、指示を出したりしていたのである。四人の団結心を如実にしめす、感動的な光景だった。唯一の問題は最後の高音で、リンゴはなかなかこの音をきれいに出せなかった。(機械操作で処理しようとしたリンゴ) 「いや、リングちゃんとやらなきゃ駄目だ」ポールが最終的な結論をくだした。「大丈夫さ、集中すれば、きっとできる」ジョージ・ハリソンガ励ますようにいった。ジョンまでが、なんとか手助けしようとしたアドバイスを――決して技術的とはいえなかったが―― 口にした。「頭を思い切りうしろに反らせて、あとは運を天に任せろ!」 なんどかトライしたのちに、ようやくリンゴはその音を、ほとんどふらつくことなく伸ばしつづけた。
(9 傑作がかたちに ――《ペパー》のコンセプト)

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 <オブ・ラ・ディ・オブラダ>のレコーディングは、まさにその好例だった。ついさっきまでノリノリで、似非ジャマイカなまりを披露したり、陽気におどけたりしていたかと思うと、次の瞬間までむすっとして、この曲もやっぱりポールの「ばばあ向けのクソ」だとぶつぶつ文句をいいはじめる。ジョンの気分はいつ変わるとも知れず、事態は確実に悪化の一途をたどっていた。だからポールが数日後の夜、今までのレコーディングはすべて廃棄し、一からこの曲をやり直したいといいだしたとき、当然のようにジョンは怒り狂った。大声でわめきながらスタジオを飛び出し、そのすぐあとをヨーコがついていく。今夜はこれでお見限りだろうと、だれもが思ったが、その数時間後、明らかにさっきとはちがう精神状態で、彼は嵐のようにスタジオに舞い戻ってきた。・・・・・「そしてこのクソッタレな曲は」と彼は歯をむいてつけくわえた。「こうしてやればいいんだ」 あやしげな足取りで階段を降り、ピアノに向かったジョンは、力まかせに鍵盤を叩き、この曲をイントロになる有名なオープニングのコードを、むちゃくちゃなテンポで激しく弾いた。と、ひどく興奮した顔つきのポールが、ジョンの前に立ちはだかる。ぼくは一瞬、殴り合いになるのを覚悟した。「わかったよ、ジョン」彼は狂乱状態にあるバンドの仲間をまっすぐに見据えながら、きっぱりといい切った。「きみのやり方でやってみよう」たしかにポールは怒っていたのだろう。だが心の奥底では、長年のパートナーが自分の曲のためにアイディアを出してくれたことを、うれしく思っていたのではないか・・・たとえそれが、正気を失っているあいだに思いついたアイディアだったとしても。(11 ぼくが辞めた日――《ホワイト・アルバム》の舞台裏)


 アルバム・ジャケットの〆切が近づいてくると、ジョンとジョージもこのアイディアに二の足を踏み、リンゴの肩を持ちはじめた。たかだか写真撮影のために、あんな遠方まで旅をするということが、彼らにはどうしても納得できなかったのだ。「エヴェレスト行きがボツってことになったら、ぼくら、どこに行けばいいんだ?」ある日の午後、ポールが憤懣やるかたない様子で訊いた。ジョンとジョージは面食らったような顔になった。するとリンゴが口をはさんだ。「立った外で写真を撮って、《アビイ・ロード》ってタイトルにすればいいだろ」と彼は冗談のつもりでいった。信じようと信じまいと、アルバムのタイトルはこうして決められた。アビイ・ロードのお偉方たちは、長年にわたり、スタジオに対する彼らの愛情がこのタイトルの由来になったと主張してきたが、実際にはなんの関係もない。むしろ、あの当時の彼らはこの場所を嫌っていた。単純にできるだけ近場で済ませたかったというだけの話なのだ。(14 とどのつまりは――(アビイ・ロード)の完成) 
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『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』 ジェフ・エメリック&ハワード・マッセイ (白夜書房2006年)
by mihira-ryosei | 2007-02-25 13:41 |
四日目 やっぱし、神戸らしい和風創作料理 月光
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 ラストナイトは、和風にしようと思っていた。みんなの疲れもでて、和風のほうがよいかと思ったからだ。めっちゃおいしいとの評判が高い「月光」の暖簾をくぐる。どの料理も、ホントに研究して、工夫して、つくりあげたと思えるものだった。僕が一番、感心したのは、鶏と菊菜のサラダ・680円(写真1番目)である。サラダのような、ナムルのような、塩味もうまく作用している。その他、湯葉コロッケ・950円(写真2番目)、蓮根葛まんじゅう・630円、鱈の白子韓国風・1260円(写真3番目)など、この店の「名物」はすべておいしい。牛いちぼのコロコロ・1890円(写真4番目)もいいけど、塩などでシンプルに食べさせたほうがいいかもしれない。仕上げは、炊き込みご飯のおにぎりとまよったあげく、ウニご飯小・980円(写真5番目)にした。また、来たい。
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 月光 中山手通2-10-22 ハンター坂ヴィレッジゲート2F
         078-252-1115  月曜定休


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神戸の凄いバー

 4日の間、バーに2回行った。1回目、そのバーに入ると、同志社大学・神戸製鋼のラガーマン、あの平尾さんが飲んでいた。ラストナイトに行く。「指揮者の佐渡さんも来られますよ」、「へえ、僕は佐渡さんのCDも持っていて、よく聞いていますよ」と話していたら、扉が開いて、なんと佐渡さん夫妻が、ほんとに来店。しかも、しばらく雑談をすることもできた。なにも、有名人目当てでいったわけではなく、噂にたがわず、シングルモルト、チンザノなどにこだわりのあるお店で、それ自体でも満足のできるバーだったのだが、なんと2度とも面白いことになった。神戸は凄い。

 5日目、帰りには、JR元町駅前の「四興楼」で、土産に豚マンを買って帰った。「老祥記」と人気を二分する店と聞いた。
by mihira-ryosei | 2007-02-12 23:49 | うまいもの 韓国京都以外
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三日目 中越料理の名店

 中越料理とは、富山県の郷土料理にあらず、中国料理とベトナム料理の「ダブル」なり。しからば、ベトナム料理とは?ここにも実は、台湾料理と同様、淡白な福建料理の影響があるようだ。偉大なり、福建。
 ベトナム料理の必要用件。魚醤を使用。米食が基本だけど、麺か皮にして食す。コリアンダーなどの香草を多用する。ライムも大好きのようだ。それにフランス統治時代の影響もある。お上品さもある。 そのベトナム料理も、中華料理も、それらが融合した中越料理をおいしく食べることができる名店、神戸人に広く支持されている店が、「鴻華園」である。
 
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 NHK、韓国領事館の近く、品のない(失礼)ネオンに縁取られた看板をみながら路地にはいり、勝手口のような玄関を入っていく。民家をそのまま使っているようだ。お世辞にもきれいとはいえないし、サービスも淡白というより、ぶっきらぼうである。が、味は素晴らしい。遠くから食べに来る価値が十分ある。蒸し鶏、ベトナムビーフンも食べたかった。なぜかトムヤンクンもあった。
 
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 特に、蒸し春巻き(写真1番目)。つるりとして食感と香ばしさの中は、まろやかなやさしい味は絶品。また、ミル貝の味付け(写真2番目)、えび風味のレタス炒め(写真3番目)も出色の出来映えだ。他に、揚げ鶏(写真4番目・手前の梅ソースをつけて食べる)、ミンチ肉のレタス包み(写真5番目)、えびマヨネーズ(写真6番目)、フカヒレスープ、ベトナムチャーハンを注文した。すべて二人前注文し、ビールを飲んで、7人でひとりあたり3,700円程度とは、驚きだった。

 鴻華園  中山手通2-21-12 定休火曜日 078-231-7079

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by mihira-ryosei | 2007-02-11 18:53 | うまいもの 韓国京都以外
 神戸に4泊5日で出張することになった。仕事以外の時間が長い。グルメの出番である。神戸については、なんの情報もない。昨年の大阪出張のときにも世話になったコピーライターの友人TTをはじめ、関係各位に情報の提供を求めたところ、回りきれないほど集まった。まことにありがたいことである。
 
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一日目 台湾料理から始める  元町・丸玉食堂 
 
  三宮の高架下を元町に向かってしばらく歩くと簡単に見つかった。道々、さすが神戸は、中華が多いなと実感する。それに「台湾」という自覚をもって生きている人も多いかなとも感じる。ところで、「台湾」料理とは何か。四川、広東など中華料理の8大体系を構成するものである。同じく8大体系のひとつ、福建料理を基礎として、島国・台湾の食材を活かしながら、台湾料理が発展してきた。16世紀福建省から渡ってきた人々が島を開拓し始めたことから福建料理がもたらされたのだが、今世紀にはいってからは、中国革命などの変動により大きな人口移動を受け入れ、広東、客家(ハッカ)料理も台湾料理に影響を与えることになる。つまり淡白、酸味、甘みを好む福建料理に、醤油、乾物、牛豚の内臓を多用する客家料理をミックスして、島の豊富な食材を料理したものが、台湾料理になった。牛肉麺(ニューローメン)、担仔麺(タンツーメン)、魯肉飯(ルーローファン)、排骨飯(パイクーファン)などが代表格である。
 そんなことを考えていたわけではないが、高架下、「丸玉食堂」に入る。ふたつあるようだが、東店の方である。コブクロ、餃子、青菜の炒め物、豚胃袋のスープなどを食す。内臓料理を食べたが、台湾で食べた客家料理に似ている。最後に、この店の名物・卵かけあんかけ平麺である老麺(ラオメン)で満腹。僕はコブクロ、胃袋のスープなど台湾の内臓料理を、大衆食堂で気楽に食べられるということを評価したい。もともとあんかけがあまり好きじゃない、麺自体にこしはない、甘いなどのことから老麺はそれほど・・・。でも他の料理はもっと食べてみたい、おおいに期待のもてる食堂であった。
 写真がうまくとれませんでした。もっと詳しい情報をという方は、以下をご覧ください。

http://baukiti.epicure-souvenir.com/?eid=35168
http://blog.livedoor.jp/pop_web/archives/50640640.html

 二日目 神戸牛を味わう

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 お昼ごはん、自由に食べられるのはこの日だけというわけで、三宮駅近くの「赤ちゃん」という洋食屋さんに飛び込む。創業1949年の老舗である。入口上部にステンドグラス、店内は薄暗く、こげ茶色のテーブルと椅子、レトロな雰囲気である。エビフライとハンバーグをメインにした1300円のランチを注文する。(写真最上)おいしい洋食屋の武器は、デミグラスソースとドレッシングだとあらためて認識させてくれる。エビフライはいける。ところが、ハンバーグは、あっさりした味付けで、パテのようで歯ごたえもない。ちょっと狙いがわからないなあ。
 でも、あとくちは実にさっぱり。きちんと味をつくっている証拠だと思う。

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 夕食は、ぜひとも神戸牛を食べようということで、東門街、「古もん」に。僕は仕事が遅くまでかかり、店に遅れて到着。ほとんで食事を終えている同僚たちに気を遣い、しゃぶしゃぶをばくばく食らう。おいしかったけど、落ち着きがなかった分だけ、満足感が薄い。でも肉はさすが神戸牛と思わせるに十分のものであった。値段の割には、少ないなという不満はなかった。ここも写真がなくてすいません。(写真は、ぐるなびから)

  赤ちゃん (JR三宮駅近く) 078-331-4030

  江戸屋敷 古もん しゃぶしゃぶ6000円  (中山手通り ニューゲートビル5階) 
   078-331-0673
by mihira-ryosei | 2007-02-10 22:37 | うまいもの 韓国京都以外

硫黄島からの手紙

 
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 風邪が蔓延している。僕も何年ぶりかで寝込んでしまった。仲間も相次いで風邪の洗礼を受け、Q-Chews‘74の練習が中止になった。
2週間前からはじめた土日の宝が池のジョギングをやってから、前々から気になっていた『硫黄島からの手紙』を観に行った。見るべき映画だと思っていたし、見てよかった。当然、楽しくも、嬉しくもなかったけど、クリント・イーストウッド監督はじめ製作に携わったアメリカの関係者に感謝したい気分になった。映像、ストーリー展開、演出などが、なにより映画として見事であった。
 栗林中将が、高い評価を受けているのは、合理主義的人道主義的立場から、玉砕などという軍人の「無駄死」、「犬死」を厳しく戒め、徹底抗戦を指導することで、日本本土の空襲を回避しようとしたことだ。しかし、はじめから負けることのわかっている徹底抗戦は、結局は、飢餓と病気に苦しむ多数の将兵を死に至らしめることでしかなかった。アメリカの将兵から見れば、勝つことが明らかな戦いで、予想外の多数の死傷者を生んでしまった戦いだ。それが戦争といえばそれまでだが、5日間で陥ちるとされていた硫黄島を36日間耐えたとして、戦争の大局からみれば、どれほどの偉大な意味があることだろう。だから、戦争は愚行なのだ。
 栗林中将が、負けることがわかっていたのだから将兵の命と家族のために、あらゆる批判を覚悟で、降伏していれば、歴史に真に名を残していたかもしれない。ありえない話だけど。日本軍の降伏事例とその後の顛末について調べたくなった。

 夜、息子が飯を食おうというので、出かけた。北山通りの「南山」。ここの盛岡冷麺、絶品である。というかソバアレルギーの僕にとっては、日韓問わず食べることのできるほとんど唯一の米粉の冷麺なのだ。だから、他の冷麺と比較はできないけれど、つるつるしこしこおいしいのだ。それに最近、この店は、国産牛や他の食材の仕入れについてたいそうな努力をしている。
 このバカ息子に、硫黄島の話を勢いつけてやったけど、どうだかな。
by mihira-ryosei | 2007-02-04 22:02 | 映画・音楽