オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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高校時代から大学時代にかけて、高石友也とナターシャーセブンに傾倒していた。宵々山コンサート。今回,28回目のコンサートに行って、配布されていた歩みを、何度も見て、ようやく、第3回(1975年・高校2年)、第4回(1976年・高校3年)、第5回(1977年・大学1回生)、第6回(1978年・大学2回生)は行ったことを確信した。第7回(1979年・大学3回生)は行ったような、行ってないような・・・はっきりしない。
 しかも、始末の悪いことに、誰と行ったかについての記憶がない。唯一の明確な記憶は、1977年。大学1回生のとき、クラスの女子学生など何人かと行った。はりきって前日から並んだ。それにしても、他のコンサートは、誰と行ったかは覚えていない、誰と徹夜で並んだかは覚えていないが、桂米朝、木の実ナナ、初代高橋竹山、赤塚不二夫、黒柳徹子、ミヤコ蝶々・・・・名だたる芸達者の芸に驚嘆したことは覚えている。ナターシャセブンのサウンド、永六輔のパーソナリティー。素晴らしかった。魅了されていた。でも、就職して、いつしか、遠ざかっていった。
 コンサートは1986年から8年間の中断を経て、1994年から再びおこなわれるようになっていたようである。しかし、僕はこのコンサートが行われていることさえ知らなかった。喜納昌吉、モノノケサミット、トワ・エ・モア、桑名正博、有森裕子、上条恒彦などが出演していることを。
 去年、コンサートがいまだ行われていることを知ったが、終わったあとだった。だから、今年は行きたいと思っていた。

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 かつては徹夜で円山音楽堂を取り囲んでいた若者が、いっしょに年をとって集まってきたという感じだろうか。僕も含めてみんな老いていた。「後期高齢者」永六輔さんは、道で転んで歯を折ったとのことで、言語がおぼつかない。でも、黒柳徹子との「再婚ネタ」など、さすがの話芸だったが。ナターシャーセブンは、数々の不幸により、高石友也しかいない。でも驚くほど元気だった。それにしても、バンジョーも、フラットマンドリンの音色もないのは寂しい。
 72歳坂本スミ子は、元気な大阪のおばはんで、なおかつ艶があってよかった。だるま食堂もなかなか面白かった。無骨な笠木透も、才人・趙博も、はじめてで、新鮮だった。高石友也は、なんか、歌と語り、ギターと身振りが一体化して、音楽の仙人のようだった。行ってよかったと思う。でも、30年前の記憶からか、どこかでそのうちもっとすごいスペシャルゲストが出て来るぞと期待していた。桂米朝を拝めたのは望外だったけど、それでも、まだ誰かが・・・と。でも、暑さに耐えがたい中年たちの集団は、アンコールも、そこそこに音楽堂を後にしていった。宵々山コンサートは、このまま枯れていくのだろうか。世代を継ぐことなく。
 来年も行くだろうか。行くかも知れない。行くような気がする。でも、もっとたくさんの楽器の音色も聞きたいな。坂庭省吾のフラットマンドリンが、音楽堂の緑の大木に響いていた、爽快感をもう一度。

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by mihira-ryosei | 2008-07-21 22:58 | 映画・音楽

dog ear 18 創氏改名

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               『創氏改名 -日本の朝鮮支配の中で』 (岩波新書) 水野直樹

 「創氏改名」とは何か。なにか、日本の朝鮮の植民地支配、民族同化政策というキイワードで、説明できた気になっていたが、はたしてどういうことだったのか。この本は、決してわかりやすい本ではない、かといって難解でもないけど・・・。押し付け的でもない。かといって軟弱ではないけど。とにかく、いろんなことを考えさせてくれる本である。
 著者の水野直樹氏、先生が大学院時代に、他大学生ながら卒論のアドバイスを受けた。今から30年近く前になる。


 もともと、朝鮮を強権支配していた日本は、朝鮮人に多くの制限を課していたが、もともと、姓名についても、日本人化をしようなどとは思っていなかった。名前までいっしょになったら、日本人と区別がつかなくなるから。特に警察が反対していた。しかし、姓を変えることは、天皇制国家にとっては必須のテーマとなっていった。

第1章 創氏改名まで

 第一に、ハングルで姓名を登録することが認められなかった。・・・第二に、朝鮮語の固有語彙で名を付けることが制限された。・・・・第三に―これが創氏改名との関連でもっとも重要な問題である―、朝鮮人が日本人風の声明を名乗ること(民籍・戸籍に登録すること)を禁じる政策をとったことである。・・・肌の色、顔つきで区別できず、ことばや服装が同じようになった場合、日本人と朝鮮人を区別する手がかりがなくなってしまう―総督府が恐れたのはこれであった。・・・「内地人に紛らわしい姓名」に改めることは禁止されることになった。・・・このように、併合直後、「名前の差異化」政策がとられ、それが創氏改名にいたるまで変わることがなかったのである。

 ・・・異姓養子(姓の異なる者を養子とする)を認めないこと、姓は不変であること、同本同姓婚(本貫・姓を同じくする男女の成婚)を認めないことなどが朝鮮の慣習とされ、「両班的」というべき家族・親族制度が維持されることになった。しかし、総督府は男系血統にもとづく宗族集団の存在を植民地支配にとって不都合なものと考えていた。なぜなら、天皇を宗家とし、その下に臣民である家長の率いる各家が分家として存在すると観念されていた日本の国家・社会体制と違って、朝鮮社会に強固な宗族集団が存在することは、天皇の名による植民地支配を不安定なものにしかねない、という認識があったからである。
 ・・・朝鮮人を「血族中心主義」から脱却させて「天皇を中心とする国体」の観念、「皇室中心主義」を植え付けること―これが創氏の真のねらいだったのである。・・・「内地人風の氏」へと誘導する仕組みが準備された。・・・法令で規定されていた氏設定にかかわる制限は、歴代天皇の諱・名、朝鮮の他の姓を付けてはならないというものだけであった。しかし、総督府は、法令の解釈によってさまざまな制限を設けた。たとえば、夫婦の姓を合わせた二字の氏(朴李、金梁など)、姓に日本人風の苗字を付け加えた氏(中村金、井上朴など)は、受け付けないとした。・・・さらに総督府は二字からなる氏が「日本人風」であると奨励したため、実質的に新たな氏として認められるものは、「二字からなる日本人風の苗字」へと狭められることになった


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第2章 創氏実施と強制の実態

 中には、創氏をした生徒には胸に「創氏札」をつけさせるという学校まであらわれた。・・・同校では七割の生徒が「創氏改名」したとされるが(ただし改名率がこれほど高いとは思えない)、それら生徒の胸に「新しい名を書いた札をぶら下げさせている」、それは「新しい名を忘れ勝ちな爺さん、婆さんや近所隣りの者に覚えさせ、合わせて創氏の普及に協力」するためだと伝えられる。
 

 檜山さん、「犬の子」を名前にしようとは、なんたる創氏、痛烈な皮肉、さすが、檜山!!背番号24とは関係ないと思うけど。

第3章 批判・抵抗と取締り

 慶尚南道東莱邑の檜山錫斗(朝鮮名不明、製棺業・五四歳)は、「昭和十七年十一月二日釜山府寿町福成旅館庭先に於いて金光今述外二名に対し、『一昨年自分は犬の子と創氏して  
東莱副邑長に書類を差し出したら、何故犬の子と創氏するかと理由を問うので、自分は朝鮮人は変姓せば犬の子、牛の子といわれるから、創氏は変姓であるから犬の子と創氏したと答えたら、副邑長は自分を叱り、若し斯様な事を警察に知られたら貴殿は処罰されるから改めて届け出よと云われ、檜山と創氏したが、朝鮮人は存在がない』と放言」したとして、懲役六ヵ月の判決を受けた。

 創氏改名の持つ矛盾は、「差異」と「同化」を両方追求しなければならない矛盾であろう。

第4章 創氏改名における差異化

 ・・・朝鮮人を同化すべきことは疑いの余地がないが、朝鮮人に日本の名字を名乗らせることは国体の原理である名字を単なる「符牒」に過ぎないものとして軽侮する思想を広め、国体に深刻な損害を与えることになる。では、どうすればよいか。朝鮮人に「内地の姓」を認めるのは「内地人」と結婚した場合に限るべきであり、「濫りに外藩に名字を濫与」することは避けるべきである。しかし、「半島統治の必要」を顧慮するなら、朝鮮人に「日本式なる姓氏にして、しかも未だ嘗て、内地に存在せざりしもの」、たとえば、金氏なら、「金寺、金水、金月」などを用いさせるようにすればよい―これが古谷の主張である。

 総督府は、氏の設定届出をさせるために強圧手段をとったが、それに比べると改名については放任する態度をとったばかりか、むしろ消極的な姿勢を示した。・・・「個人の個性」を尊重するといいながら、実は朝鮮人であることを表す名のままにしておくのがよいと考えていたのであろう。


第5章 創氏改名の諸相

 朝鮮YMCA会長であり資産家でもあった尹致昊(ユンチホ)は、一九三八年に国民精神総動員朝鮮連盟常務理事に就任し、総督府に全面協力する姿勢を示していた。・・・尹は、(日記で)「日本がなりたいと思っている大帝国は必ず多くの人種で構成されるべきものである。彼らにすべての点でまったく同じようになれと強要することは、馬鹿げた不可能な政策である」・・・と書いて、総督府のやり方を厳しく批判している。

第6章 創氏改名がのこしたもの

 京畿道警察部長は・・・会社・銀行などでは仕事中や日本人と話すとき以外は旧氏名を使用することを常とし、郡部に於いて特に其の傾向甚だし」いことを明らかにしている。創氏改名をした者で、新氏名だけの標札を掲げるものは、「殆ど稀にして、大多数は新旧両名を併用」している。新氏名を使う者が都会地に多いのに対して、郡部で少ないのは、標札をつくる資力がないこと、「文盲」が多いことの証左である。


 2週間前に、父が亡くなりました。この本は、父が亡くなる直前に読み終えたものです。なんというか、写経のようなつもりで、ページの折り目の文書を書き写しました
by mihira-ryosei | 2008-07-07 00:00 |