オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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僕らの千里ラプソディ

 
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別府から帰ってきたら、『僕らの千里ラプソディ』、OFFICIAL SITE とかなんとかいって、公開されていた。おいおい、ボーカルはこれから本気で録音するやで、と思ってたのに。ちょとやばいとこあるよ、ほんと。
 まあ、途中公開ということで、聞いてやってください。
 
http://www.apples.co.jp/9/index.html
# by mihira-ryosei | 2010-08-07 23:01 | Q-Chews
 
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 梅雨はゲイ的、いや劇的に開けてくれて、くそ暑いのなんのって・・・・、まさに炎天下の2時に、コンクリートと高架の大阪・西中島南方でライブ、ちょうど1週間前のこと。
 来ていただいた50名のみなさん、ありがとうございました。
 やっぱり年だろうか。疲れがたまっている。僕たちはライブのあと、4年ぶりの同窓会に参加、2次会、3次会と狂宴に突入。夜中にタクシーで脱出した。
 僕はそのあと目覚めてから、別府、博多と出張から始まる週を過ごしたので、さすがに昨日は、泥のように寝ていた。

 ライブは、中島信也が駆けつけて盛り上げてくれた。いつものように「愛の落とし子」(別名うんこの歌)にはじまって、雰囲気のあるオリジナル、最後には「Abby Road」のB面をやってくれて会場を沸かせてくれた。流石です。ネバダネバダ。(こんな使い方はしないか、矢島美容室では)

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 Q-Chewsはといえば、今回、ずぶとく演奏やり直しを3回やるなど、「悪慣れぶり」を「アピール」。でも、高井が自身の曲、「7月の雨上がり」という名曲を彼のボーカルでようやく披露。クボッチも、リードギターの猛練習でされを支えた。後で勇気をふるって、音源聞いてみると、鈴木はベースラインに凝りながら、「歌えるベーシスト」めざしてコーラスにチャンレンジしていたし、福井も勝負するドラムシーンを自らつくっていた。僕は、思ったより喉が良くなく苦労した。汗を流し続けていた。
 でも客席が乗ってくれ、笑ってくれ、聞いてくれ、楽しかった。詳しいもようは、Q-Chewsブログで。http://blog.livedoor.jp/q_chews/archives/586706.html

 ところで、ライブで話題となり、その後も語られることの多かった、今度の僕のファッション。
「黄緑のドット」シャツ。口の悪い人は、カエルとか、グッチ裕三とかいうけど。前日、追い詰められて、北山通りのお店で買いました。実は僕はここのブランドのファンです。
 悪いか!

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http://kato-aaa.jp/brand/kato/collection.php?pageno=3&season=1003
# by mihira-ryosei | 2010-07-25 12:43 | Q-Chews
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 うっとおしい雨が続いています。でも今度の日曜日には、カラッと見事な夏空にしてみせましょう。Q-Chewsライブ・夏の陣―尾崎君から、今回ライブのステッカーのデザイン届きました。 当日、来場者にはお配りします。
 さあ、練習!!  
# by mihira-ryosei | 2010-07-14 21:46 | Q-Chews
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 夏ライブのお知らせです。去年の1月、7月と同じく、今年も1月、7月になりました。そういう意味では4回目のライブです。場所は、今年の1月ライブで、音響もスタッフのみなさんのサポートも、すっごくやりやすかった西中島南方のD.Ⅲです。
 僕たちQ-Chews、2006年7月に開かれた豊中第9中学、1974年同窓会で、三十数年ぶりに再会したメンバーで結成され、4周年。しかも今回は、4年ぶりにライブの直後に同窓会が行われることになっています。その関係上、開演が夏の一番くそ暑い時間帯ですが、これまでとはまた違う熱い雰囲気になるかもしれません。(会場は涼しくしてもらいます)
 これまで応援していただいた皆さんにも、去年の7月より、今年の1月よりも、いい演奏をしたいと思っています。ぜひお越しください。

 1月にも来てくれた同級生・中島信也も来演決定です。

 このチラシ、『僕らの千里ラプソディ』のイメージですね。やりますよ。最高のラプソディにしますとも!!
 
 
 

 
# by mihira-ryosei | 2010-05-24 00:08 | Q-Chews
 
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 ハルバースタムの最後の大著である。勝者と呼ぶべきものが浮かばない朝鮮戦争という不可思議な大戦争をめぐって、さまざまな考察がなされている。僕がページを折った箇所だけで、新書ぐらいにはなるかも知れない。

第53章 遙かなり朝鮮半島
 すべての戦争はなんらかの意味で誤算の産物かもしれない。だが朝鮮では戦争当事者双方の重要な決定のほとんどすべてが誤算に基づいていた。まずアメリカが防衛範囲から朝鮮半島を外し、これがさまざまな共産側当事者の行動を誘発した。ついでソ連が金日成の南への進行に青信号を出した。アメリカの参戦はないと確信したのである。アメリカは参戦した。そのときアメリカは、立ち向かう相手の北朝鮮軍の能力をひどく過小評価する一方、初めて戦闘に赴くアメリカ軍部隊の準備体制を法外なまでに過大評価していた。アメリカ軍は後に、度重なる警告に注意を払わず、38度線の北に進撃する決定を下した。
 
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それからこの戦争における単一では最大のアメリカの誤算があった。マッカーサーが中国軍は参戦しないと確信したがゆえに、はるか鴨緑江まで進撃することを決め、自らの部隊をこのうえなく無防備な状態にさらしたのである。そして最後は毛沢東だった。かれは兵士の政治的純粋さと革命精神がアメリカ軍の兵器の優位(そしてその腐敗した資本主義的精神)よりもずっと重要であると信じ、そのために朝鮮北部での緒戦の大勝利の後、部隊をあまりにも南下させすぎ、その過程で恐るべき損害を出した。
 しばらくの間、望むものを手にしたのはスターリンただ一人だったかのように思われた。スターリンは毛沢東のチトー化と中国がアメリカと手を結ぶ可能性とを恐れ、中国がアメリカと闘う決意をしたことに少なからず満足だった。しかし冷血で計算高いスターリンでさえ、何回か誤算を犯した。かれは最初、アメリカの参戦はないと考えていたが、アメリカは参戦したのである。ソ連の傍観するなかでアメリカが中国と戦うことにスターリンは当初、不満ではなかったかもしれないが、ソ連にとっての長期的な結果は、実のところ複雑きわまりないものであることが判明する。致命的なまでに重要な初期の数か月間にスターリンがしてくれなかったことについて、中国は恨みを抱きつづける。そしてこうした怒りの感情が数年後の中ソ決裂の要因になったのである。しかし、おそらくそれ以上に重要なのは、中国の参戦がアメリカの国歌安全保障問題に対する見方に深甚かつ永続的な影響を与えたことだった。・・・・アメリカを以前よりはるかに安全保障志向の強い国家に変身させたのである。・・・アメリカ政治も毒され、そこでの一大懸念は―――地政学的な理由ではなく、国内の政治的な理由によって―――この国は共産主義者に奪われるのではないか、ということになった。そのために、アメリカのアジア政策は深い傷を負い、当時のレーダースクリーンにはほとんど映ることのなかった国、ベトナムへの政策に深刻な影響をおよぼす結果になる。
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 もちろん金日成も誤算をした。アメリカが韓国を守るために部隊を派遣することはないと判断したばかりか、自分自身の声望とその革命をめぐる神話のゆえに、北の部隊が南に乗りこめば、南部の20万の農民が一致団結して立ち上がると確信していた。金日成は国を統一できなかったばかりではない。アメリカに韓国の重要度を格上げさせたのである。アメリカは軍事的に韓国を守るだけでなく、戦後の時期に財政的に成長を支援し、北朝鮮を足元にも寄せつけないような、生存力あふれる韓国社会を育てた。戦争終結から50年たつが、韓国にはいまもアメリカ軍が駐留している。そして韓国は発展途上国の経済指針ともいうべきものになり、1980年代末にはその経済がソ連自体をはるかに上回る活力を具えるにいたった。それに対して北朝鮮は、相変わらず悲惨で冷酷な取り残された場所であり、全体主義と経済的貧困、そして外国嫌いのままである。

 指導者、政府が犯した誤算、誤解により、朝鮮半島の人々、アメリカ人、中国人が、無駄に犠牲になった。そしてそのことは戦後にもそれぞれの国に影響を与えた。韓国についても、ハルバースタムのいうようないい話ばかりではない。戦後長らく、反共を「錦の御旗」として、軍事独裁政権が続いたし、日帝の植民地支配と朝鮮戦争による分断固定化と光州事件のような悲劇を生み、ベトナム戦争にも参戦した軍事独裁、それぞれの深い傷跡、爪痕から、韓国はまだ自由ではない。

 戦争は、ある面で、もっと合理的なものだと思っていた。しかし、アメリカも、中国も、北朝鮮も、それぞれ内政問題や権力闘争などが、戦争遂行に非常に大きな影響を及ぼしており、信じがたい不合理さのただなかで、またして無数の兵士、市民が犠牲になった。

 そして、この本、兵士たちのあり様、権力者たちの姿が、実に生々しい。腐敗も、怠惰も、傲慢も、臆病さも、勇気も、正義感も、愛情も、哀れさも、すべてが。だからこそ、長大な本を読み続けられたのだと思う。

そして日本である。この戦争を日本経済発展の礎となった「朝鮮特需」とだけ位置づけていていいのか。日米同盟、日本の基地化、戦争放棄と自衛隊など、1951年から時間軸を延伸させて考えてみるべきテーマはとても多いように思える。

『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』上・下 
デイヴィド・ハルバースタム/山田耕介・山田侑平 訳 (文藝春秋)
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# by mihira-ryosei | 2010-05-16 01:31 |

クロッシング 

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 実は、とても重たい映画だというのはわかっていたので、かどやで、ホロ酔いになって映画館に入ったことは、結果として僕にとってはよかった。
 はたして映画は、想像以上に重たかった。何度も涙し、目をそむけ、胸が痛かった。現在の北朝鮮と脱北という現実。そして、民衆に降りかかる恐るべき理不尽な不幸。
 ところでテレビでこの映画を絶賛しつつ、「現政権を打倒せよ」、「軍事クーデターに期待する」などと叫んでいたコメンテーターがいたが、そういうために動員されてみるような映画ではなかったように思う。もちろん北朝鮮の人権のために闘っている人たちがいることは素晴らしいことだと思うけど。

 主人公の家族のみならず、北朝鮮の人々の生きざまは、人間として美しく、気高く、やがて、自らの力で国を変えていくだろうという希望の光も微かに見えたような気がした。

映画、としても十分に魅力のあるものになっている。北朝鮮の「中」、脱北シーン、そしてモンゴルの砂漠、ストーリーの展開も、映像も。

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なにが、この異常な国を生みだし、成立せしめ、そして、日本の植民地支配の36年をはるかに超えた今も、いまだにこの体制を維持させているのか。
 北朝鮮をとりまく歴史、ソ連(ロシア)、中国、アメリカ、日本などとの国際関係も含めて、冷静に考察し、私たちになにができるのかを僕自身にも問いかけなければならない。
 たとえば、日本が変わればなにかが変わるのか。いや、どう変わればなにかが変わるのか。わかりにくいなあ。

映画を観終わった後の心斎橋、僕はまだ酔いが十分に残っており、視界に入る風景が、たむろしている若者、ドーナツを求めて90分待ちの行列、そして、御堂筋はくらくらして夏のように暑く、それに映画の残像が次々浮かんできて、さらにああ沖縄のこともあったなとか・・・なんだか不思議な感覚に襲われた。

 観てください。ぜひ。
# by mihira-ryosei | 2010-05-05 22:05 | 映画・音楽
 

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 映画「クロッシング」を観に、心斎橋に出かけた。前日混んでいると聞いていたので、朝9時に烏丸駅を出て、10時につけば、10時すぎの1回目上映に間に合うかもと期待していた。たとえだめでも12時過ぎの上映にはいけるだろうと、読んでいた。ところが、着いてみるともう行列、1回目はおろか、2回目も満席完売。なんじゃこれは!!
 仕方なく2時過ぎのチケットを購入。そんなんで、4時間弱の時間ができた。1時間ほどは懐かしの心斎橋、道頓堀、千日前をぶらぶら歩き、喫茶店へ。そして開店をねらってめざしたのが、豚足、ホルモンの店、「かどや」である。
 お昼12時過ぎ、もう店内は満員に近い状態。カウンターにすわると、フィリピンの別嬪さんに注文を聞かれた(写真にキレイなお手が写っています)。仕入れ前か、生レバーはなく、生センマイ、豚足、蒸し豚、マメの串焼きなどをビールと共に頼む。飲むほどに、隣のお客とも話がはずみ、ここが絵にかいたような大阪なのだが、いろいろ聞きもってメニューも追加。「子豚腸」がわからなかったがおいしいというのでたので見たら、どっさりの生姜の千切りの下にはボイルしたコブクロ、つまり子宮だった。確かにうまかった。豚足の鍋からスープを赤だしを入れるよう器にいれてお客さんに出していたが、あれなんやろ?

 5月の連休最後の日、こどもの日に、おっさんは、昼間から、かどやで一杯のみ幸せ。
コブクロがおいしいというから5月5日はおっさんのホルモン記念日・・・・・。

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# by mihira-ryosei | 2010-05-05 21:37 | うまいもの 韓国京都以外
 北山橋西詰から、府立植物園のフェンス沿いに下ル、賀茂川の堤道が、半木(なからぎ)の道。
まだまだ今週は楽しめますよ。
 
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# by mihira-ryosei | 2010-04-11 23:15 | 京都なんでも
 
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 年間生産、すべて手作りで、ギター5000本。日本を代表するギターメーカー、K.YAIRIの本社がある岐阜県可児市にいってきた。

e0065380_2345662.jpg 僕のアコギは2本とも,K.YAIRI。1本はGW1100M、2005年製(写真左)。スタイルのきゃしゃなもので、MARTINだとOOO(トリプルオー)スタイルに近いもの。ライブで使っている。もう一本は最近ヤフオクで買ったもの。YW500P、なんと1977年製(写真右下)。5年のつきあいになるが、「永久保証」をうたうだけあって、修理やピックアップのとりつけの対応がとてもまごころを感じるもので、一度行ってみたいと思っていた。高速道路も1050円だし。

 K.YAIRIを使っているアーティストはたくさんいるけど、たとえば、桑田佳祐、龍馬・福山雅治、BIGIN、宇崎竜堂、GLAY、豊中九中の「後輩」矢井田瞳など数限りない。あのポーe0065380_2353892.jpgル・マッカートニーも。工場見学のとき、ギター職人の至宝・小池さんが制作していたのは、宇崎竜堂のだった。
 ちなみに、僕のGW1100を使っているのは、アグネス・チャン(?!)、尾崎亜美、いとうたかお、などだそうだ。

 で、今度、33歳のギターも、本当に深くてよく響く音がするので、スタジオで使おうと、ピックアップ(ギターの中にマイクをとりつけて、エレキギターのように弾けるようにする)をとりつけにいったのだ。

 
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予約しておいたので、工場も丁寧に案内してくれた。材質の違いから、木の乾燥のさせ方(3年から10年)、ギターができるまでの工程をじっくりと勉強させてもらった。それぞれの持ち場で職人さんが、ギターづくりに没頭していた。
 面白かったのは、あちこちの工程で、木に、ギターの部品に、ギターの卵に、音楽を聴かせていたことだった。響きをなじませるのだそうだ。ギターはとにかく弾いて、話しかけてほしいと。

 自分のギターも、大切にしようっと、しみじみ思った。                                                       
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 4月24日、25日の二日間、K.YAIRI 75th Anniv.Fes が、おこなわれるそうだ。無料ライブ、工場見学、アウトレット特価市。
http://yairi.co.jp/75-fes.html

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# by mihira-ryosei | 2010-04-11 23:01 | 旅行
 
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 台湾の麺といえば、まずは牛肉麺(ニュウロウミェン)だろう。戦後、大陸から渡ってきたものとされるが、牛骨、牛筋のスープに麺と牛肉、それに香菜を加える。八角の香りが台湾の麺としての強い主張になっている。
 台北における文句なしの牛肉麺は、総統府の真裏にある。博愛路と寶慶路の交差点、台湾銀行の斜め向かい。困ったことに、信じがたいことだが、看板がない。つまり店の名前が不明なのだ。大変なにぎわいである。漢字でなんと書いてあったか忘れたが、分店、つまりチェーン店は置かないと宣言していた。
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 一般的には牛肉麺は、濃い色をしているのだが、この店では薄い色のスープもある。醬油っぽくも八角の強い香りもしないが、あっさりしてうまい。今回紹介するのはもちろん薄い色の方。ところが、これも困ったことにメニューには区別がなく、口でいわないといけない。友人に聞いた。濃い方は「ホンシャオ」、薄い方は「チンツン」というのだそうだ。まあやってみてつかあさい。

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 本当においしかった。高菜のような香菜(シャンツァイ)をたっぷり、唐辛子もかけて、ズルズルと食う。八角と醬油に柔らかく煮込まれた牛肉も、好ハオ。150元。

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 他に、豬脚(豚足)100元、豚の骨、肉片、もち米を蒸した粉蒸排骨100元。
 
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# by mihira-ryosei | 2010-04-04 00:53 | うまいもの 韓国京都以外

祇園新橋に「初桜」 

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 もう桜が咲いているんだ。なんかこんな早く開花されてしまうと、春がさっときて、さっと行ってしまうような不安な気持ちになるよ。
 祇園・新橋。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-18 00:08 | 京都なんでも

マンデラの名もなき看守

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 インビクタス」を観てからというもの、僕の中の「マンデラ振動」が止まらない。お風呂で、「コシシケレリ アフリカ」を放歌することが増えた。夜中は小声でやっているが。「マンデラ」で検索して、音楽CDも申し込んだ。DVDも借りてきた。

「マンデラの名もなき看守」である。2007年、マンデラの生誕90年を記念して制作された映画である。なぜか、ドイツ、ベルギー、イタリア、南アフリカ合作である。実話という。

マンデラの獄中生活は実に27年に及んだ。看守にとって、一級の「国家的犯罪者」であるマンデラを担当することは、さぞかし、名誉なことなのだろう。そして、マンデラをとことん「かわいがる」ことで、役目を果たしていったのだろう。ところが、この映画に登場する「名もなき」看守は、弁護士でもあったマンデラから告訴されなかった唯一の看守なのである。彼も、もともとはごく普通の軍人でマンデラを白人国歌の天敵と信じていたのだが、幼い時に黒人の友達がいたことなどもあって、本当のマンデラを知ってしまうのである。
そこから彼と彼の家族の数奇な運命が展開する。時代は、そもそもありえないアパルトヘイト体制がようやく、徐々に終焉へと向かう過程にあり、映画の中でも、白人と黒人、大統領とマンデラ、看守と黒人の政治犯の立場が、変化していく様が面白い。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-07 23:17 | 映画・音楽

インビクタス

 
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 上映中、だらしないことに涙を流し続けていた。
 哀しい映画ではないのだが、涙をぬぐい続けていた。
 南アフリカ共和国。かつてアパルトヘイト(人種隔離政策)のもと、少数の白人が圧倒的多数の黒人を支配していた。世界中で、闘いが繰り広げられた。ちっぽけだけど、確かに僕もその中にいた。
獄中に27年間もの間、つながれていた指導者ネルソン・マンデラが釈放されたのは、1990年2月11日。この映画の始まりである。

僕はその年の10月の終わりに、東京のニューオータニホテルで、ネルソン・マンデラに会って、握手をした。そのあと、いっしょにいったメンバーたちと茫然と酒をのみ、最終の新幹線に乗り遅れ、翌日の始発で京都に帰り、出勤したのを思い出した。当時、マンデラを指導者としていたANC(アフリカ民族会議、後に政権与党となるが)のミュージカルグループAMANDLAの日本縦断公演の京都会場の事務局をしていた。ネルソン・マンデラに会ったのが京都公演の前だったか、後だったか思いだせないが、たぶん、後かな、とにかく、京都公演は、府立体育館を満員にして、AMANDLAの歴史上最大規模のものになったので、それで、お呼ばれがあったのかも知れない。

この映画でもたびたび登場する歌、「NKOSI SIKELE AFRICA」(コシシケレリ アフリカ)、南アフリカをはじめ多くのアフリカの国で国歌になっている。アマンドラ公演の数年前、映画「遠い夜明け」でこの曲に出会い、映画以上に衝撃を受け、もちろんAMANDLAの公演にいたるとりくみにおいてもよく歌った。この世で、もっとも崇高で、荘厳で、美しくて、力強くて、心を揺さぶる曲だと、僕は思う。だから、この曲を聴くだけで涙が流れてしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=H8iZ8jIqrQo

映画は、とにかく観てほしい。おもしろいから。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-01 00:40 | 映画・音楽

コムタンの奇跡

コムタンの奇跡 ―本当にあった話―

 2010年2月13日、土曜日。ソウルでの仕事を終え、夕方の便で帰国することになっていた。午前はホテルでまどろみ、起きだし、シャワーを浴び、ネットをチェック、バンクーバーオリンピックの開会式を横目に見ながら、荷造りをした。チェックアウトして、ベルデスクに荷物を預け、外に出る。水曜日の深夜にソウルに入ってから、雪の多い、曇りがちの天気だったが、初めて晴天だ。車が少なく、町はいつもの喧騒が嘘のようにひっそりとしている。明日からソルラル、つまりお正月なのだ。韓国は今日、大晦日みたいなものだ。
 コムタンが食べたい。朝飯の抜きのおっさんが、コムタンを求めてソウルを歩いている。コムタンとは、あっさりした牛の臓物のスープである。なかなかみつからないので、遂にタクシーに乗った。
「明洞(ミョンドン)にある有名なコムタンの店知りませんか?この間行ったんだけど、名前を忘れて、場所もよく覚えていないのです」
 祈るような思いで、運転手に問いかけた。
「・・・・、知らないなあ」
 なんか、無愛想な奴だ。
「コムタンが食べたくて・・・・」
「コムタンねえ・・・・・」
 どうも、やる気なさそうだ。だめかな。
「あっ、思い出した!河東館(ハドングヮン)だ。ハドングヮン!」
 思わず、声量が上がった。これでわかるかも・・・・。しかし、運転手は無反応、知らないみたいだ。
「テレビにもよくでるし、食客というドラマにもでたんだけどなあ・・・・」と追加情報を提供しても、だめだ・・・。
 ところが、運転手が突然、信号停止でカーナビを操作しはじめた。ハ、ドン、グヮンとハングルで入力している。でも見つからない。信号に停止するたび、運転手は検索を続けた。俄然誠意を感じた。しかし、見つからない。
 そうこうするうちに、ミョンドンについてしまった。
 まあ降りるしかない。でも、見つける自信はない。そんな僕の心を察してか、そもそもコムタンに固執するおっさんがアホに思えたか、運転手は言う。
「ここには食べるところがいっぱいあるじゃないか。アンドンチムタックとか・・」
「いいや僕はコムタンが食べたい」
「カムジャタンもあるし・・・」
「コムタン!ナン コムタン モッコシッポ!(僕はコムタンが食べたい)。ここで降りるよ」
 
 仕方ない。探すんだ。悲壮な決意でタクシーを降りたそのとき、奇跡がおこった。タクシーを降りたところが、なんと、河東館(ハドングヮン)の真ん前だったのだ。
 うれしさのあまり、僕は、タクシーのフロントガラスを叩いた。漢字で書かれた看板を力いっぱい指さした。
 運転手も、看板を確認して、ニッコリほほ笑んだ。林家正蔵に似ている。
 僕は右手でガッツポーズ。それに、運転手は右の親指をぐいと突き立てて、応えた。
 
 コムタンがいつもよりおいしく、味わえたのはいうまでもないことだ。

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# by mihira-ryosei | 2010-02-14 00:14 | 韓国なんでも
  
Hey Hey We're The Q-Chews 、「感動と興奮」のライブが終わった。去年の1月、7月に続いて3回目のライブとなったが、今回は過去最高の53名のお客さんに聴いていただいた。出番前は、「前座」のバンド、Black Box, Weird Duck etc が、うまくてかっこよくて、「ほんまにライブになってしまってる!」とおろおろしていた。僕たちの直前を務めてくれた、中島信也君(CFディレクター)が絶妙のトークと歌で、ややムードをオヤジ風にしてくれはしたが。その模様は、Q-Chewsブログでおいおい報告するとして、とにかく、なんとかかんとか、やった。反省は数限りないけれど、一番手ごたえのあったライブになった。打ち上げは、居酒屋で33名で、二次会は、いうまでもなく、椿やに繰り出して、韓国語表現でいう「フィルムが切れた」状態で、朝4時に帰宅。頭痛、倦怠感、虚脱感、筋肉痛・・・、目を覚ました午後は、ただただぼんやりしていた。

 一瞬、ふと、頭をよぎった映画のポスター。おととい見たポスター、「牛の鈴音」。なんか魅かれるものがあり、行ってみようと思っていたのだ。重い体で、京都シネマに向かった。


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 韓国のドキュメンタリー映画である。老人夫婦と老耕作牛の奇跡のような話。終わってからしばらくは席を立ちたくなかった。余韻に浸りたい、そう思わせてくれる映画に出会ったのは何年振りだろうか。心に沁みた。
子供のころ左足を悪くし、つえなしで歩けないのに、機械も農薬も拒否する頑固なおじいさん。年をとって、血圧も高く、頭痛に悩まされている。その農業を支えてきたのが、40年も生きたおばあさん牛。そのおかげで、9人の子供も育っていった。おじいさんは「人間より大切」と牛のために、飼料はつかわず、毎日、頭痛をこらえ、野良を這いずりながら、草を刈り続ける。「人間の」おばあさんがいい。頑固な夫、貧乏な生活、自分より牛を大切にする夫へのぼやき、愚痴、自らのパルチャ(運命)を恨むその言葉が、傑作だ。ときには、「メス」として牛へのヤキモチかなともおもえる言葉も飛び出す。その牛がいよいよ寿命だ。15年から20年といわれる牛の寿命からみれば大変な長生きだけれど。牛の死をめぐって、映画は展開する。
 また、老夫婦と牛をめぐる風景が痛いほど美しい。
 あ~、いい映画だったなあ。
# by mihira-ryosei | 2010-01-11 22:50 | 映画・音楽