オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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 近頃、韓国ウォンが安いというので、韓国にいきたいな~という人が増えているようだ。それで韓国にいっても結局、免税店でブランド、利泰院(イテウォン)で皮製品、はたまた、な~んちゃって品を買うか・・・。いずれにしても買い物とグルメが多いようだ。当ブログでは、韓国の楽しみをいろいろ提供しているつもりなのだが、なにせ、買い物ツアーは慌ただしい。そんなときには、食事もさっと済ませたい。というので、今回は定番の昼メニューを。コムタンとサムゲタンの老舗店。
 コムタンは、明洞(ミョンドン)の河東館(ハドングァン)は有名である。コムタンの意味は、長時間煮込む=コムからきたものらしい。日本では、コリ(尻尾)コムタン、つまりテールスープとして知られている名前だが、本当のコムタンはずいぶんと違う。しからば、ソルロンタンとどう違うのかという質問もでてきそうだが、今は、ほとんど区別がなくなってきているようだ。もともとソルロンタンは雪のように白いという意味で、白濁したスープのことである。煮込んでいる素材はコムタンと変わらないように思う。透明=コムタン、白濁=ソルロンタンという区別であったようだが、今はあいまいになっているらしい。この河東館のコムタン、なにより気前よく、肉が入っている。ようするにそれなんだな、人気の秘訣は。違うかな。

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サムゲタンは参鶏湯と書く。生後40日ごろの鶏におなかに、高麗ニンジン、もち米、なつめ、松の実、にんにくなどを詰めて煮込んだ薬膳料理である。栄養価が高い。考え方を変えれば、要注意高カロリー韓国料理である。おいしいサムゲタンといわれても、正直あまりわからない。僕は明洞の栄養センターによく行く。それはサムゲタンが特別おいしいというのではなく、トンタックというローストチキンが食べられるのが理由である。
 今回はあまりにも有名な土俗村(トソクチョン)のサムゲタン。慶福宮(キョンボックン)、大統領府である青瓦台(チョンワデ)あたりにある。昼時には、地元の人のみならず中国人や日本人の団体が行列をなしている。かつて、この店のファンであったノムヒョン大統領がチョンワデにサムゲタンを作りに来てほしいと頼んだが、断られたという話も、巷間語られている話である。
 食べ方は韓国人の食べ方を観察することをお勧めする。ザクザクと鶏を割って、少しずつお皿に取り出して食べる。肉には塩を付けて食べることもよい。いきなり鍋にスプーンいれて食べると、やけどしまっせ。
当ブログお決まりの変な日本語もおまけします。

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 でもサムゲタン、今の日本円なら500円ぐらいで食えるのかあ・・・。行きたいなあ。
# by mihira-ryosei | 2009-02-14 19:35 | 韓国なんでも
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 教えたくないといっても、知る人ぞ知る店。行ったことがなくても、「あ~、聞いたことがある」という店。失礼ながら、外からビルの2階の店の看板を見ていても、ほとんどカウンターの店内をを眺めても、うまい店には見えない。そんなごくごく普通の店が、中華の名人の美味の名店なのだから、世の中おもしろい。
 京都大学のフランチャイズ、百万遍の交差点、東側を上がる、ビルの2階にある。中華の店、「華祥」である。友人Oの情報によると、この店の大将は京都府現代の名工の指定を受けているとのこと。
 ありふれた中華の店も観察しているとなるほどと思う。清潔な厨房、笑顔の店員、「昔東映の俳優をしていました」といっても通用する渋い大将が、ばたばたせず、確実に注文をこなしていく無駄のない動き。惚れぼれしてくる。
 まあ、とにかく何でもかたっぱしから食べてみてちょうだい。なんでもうまいから。
 写真は、鶏ネギラーメン。妙にきどって、もったいぶって、「なんか誤解してんのとちゃう?」というような今どきのラーメン屋に飽きてきたら、下町の名人がすっとだしてくれるここのラーメンをどうぞ。
# by mihira-ryosei | 2009-02-08 12:11 | 京都なんでも

 
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素人、しかも50歳を超えたものが、バンドなんぞをつくって、こともあろうにライブなんぞを開催したらどうなるか。
 たとえば、京都・大阪のメンバーで構成されているバンド・Q-Chewsのリードボーカル・サイドギター担当のI(50)のライブ三日前はどうか。彼は、09年1月11日のライブを控え、緊張と期待の年末年始を過ごした。冬の休暇も、ボイストレーニングこそ、家族の迷惑顧みず毎日20分やったが、思ったほど練習ははかどらなかった。当日は、「MOMOKO CLUB」でも、中学の同級生のMOMOKOさん(50)のサポートで演奏することになっており、それが5曲。Q-Chewsは9曲やることになっている。大変なのだ。なのに、妄想だけがたくましい。自作の曲に酔いしれる観客を想像しては悦に入ったかと思えば、演奏や歌よりも話し声が大きい風景が浮かんできては悲嘆にくれる・・・そんな毎日を過ごしている。いい年をしてまるで馬鹿である。

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 最後の練習は1月4日。みんななんとなく硬いものの、ライブは3回目とあって「いけそうな」感じもしている。でも今回は単独ライブなのだ。会場キャパは40名でほぼ埋まりそうである。半分が中学の同級生(出演者は全員豊中第9中学同窓生なのだ)、残り半分がそれぞれのメンバーの友達、同僚である。Iは、初ライブで花束をもらいみんなから羨ましがられたことで、よせばいいのに、今度も祇園のCちゃん、それにEちゃんまで呼んでしまっている。年のわりに馬鹿としかいいようがない。
 3日前、木曜日は仕事を終え、とっとと帰宅し、額に汗を浮かべ練習にとりくんだ。達成感があった。立派である。しかし、2日前、金曜日、不安に駆られたIは練習できる時間があるにもかかわらず、へらへらと若い同僚を誘って食事にいき、二次会を断られると、祇園に向いCちゃん、Eちゃん相手に気をまぎらわせ、酩酊し、さらに、馴染みのバーに行き、マスターやピアニストに、だらだらと自慢と自嘲を繰りかえし、深夜店をあとにした。最低である。50男のやることではない。前日、土曜日これではいけないとメンバーで、リードギター担当のT(49)の経営するスタジオに行き夕方まで必死で練習に打ち込んだのである。まるで試験前日の中学生と変わらない。その夜、帰宅したIは余裕の時間を過ごしたと言っているが、本当は何をしていたのか思い出せないのである。
 

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 当日、リハーサル中に、バーのマスターが、ラム酒のボトルを持って来てくれた。この間よほど心配をかけたに違いない。
 会場は満員。開演まで、懐かしい友の馬鹿話を漏れ聞きながら、Iは控室で天井を見ていた。
 ライブは、始まってしまえばそれまでで、進むしかないのだ。MOMOKO CLUBは、ピアノとアコースティックギターの世界。IとTがギターで参加。1曲目、「夜空には満月」、Iは自身が作曲した曲のギターのイントロでトチッてしまったが、あとはなんとか足を引っ張らずに済んだと思う。MOMOKOのボーカル、長足の進歩、感動的である。
 Q-Chews登場。Iは1曲目、ビートルズの「I Saw Her Standing There」に賭けていた。ここで一気に走るぞという気構えだった。はじめの歌詞、She was just seventeen~の teenが、音程も伸びもうまく行った。これでいける! 後日、リーダギターのTが同じ事をいっていた。凄い奴や。あとは、Oceanlane の「Walk along」、初ライブでもやった自作の「同窓会で」と続き、初披露のオリジナル新曲「Dark Black Night Rots Away」で、いったん退いて、急きょ結成された東京の同級生コンビのステージ。日本を代表するCFディレクターN(50)、元アイドル歌手Y(50)が来てくれたのだ。語りも、歌も流石。観客を惹きこむ魔力を感じる。Iは後半を想像して、また不安になる。

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 確かに後半、プロの雰囲気に呑まれたのか、バンド全体が、チューニングが決まらない、リズムが走るなど、やや厳しかった。でも、オリジナル「月光の河」、Ellegardenの「Insane」、ラストのオリジナルの「君が15歳の」まで、やりとげた。「君が15歳の」は、06年7月、みんなは33年ぶりの再会を果たした同窓会のときに、大阪のコピーライターT(50)の詩にIが曲をつけたもの。このことがきっかけで、Q-Chewsも結成された。思いで深い曲なのだ。今回、リズムを三拍子に変えるなど演奏を一新して臨んだ。自分でつくったにもかかわらずボーカルとしては最も難しい曲である。結果は・・・わからない。でも、歌っていた。
 最後、生意気にもアンコールにとっておいたビートルズの「Get Back」は、そもそもアンコール・シーンをどうふるまっていいかわからず、オロオロしているメンバーを見るに見かねて、NとYがアンコール動作を何度もやり直しさせるなどの盛り上がりをはかってくれた。
ありがとう、ありがとう、花束を受け取ってから、騒然とした中で、後片付けをして、打ち上げに行って、朝まで・・・・。朦朧として、あまりにも朦朧として。
 Q-Chews、キーボードとギターを担当したバンドのマドンナ・KUBOTTI(49)、少年ジャンプを並べて練習していたドラム担当のF(50)、同僚がたくさん来ていたベース担当のS(50)、なんでもこなすダビンチ・リードギター担当のT(49)、そして、I。
 ライブが終わってからも、振り返っては、自慢と自嘲、自信と不安の日々は続いている。同級生はじめたくさんの励まし、楽しかったというメールをもらった。よくもまあ下手なバンドを聴きに来てくれたものだ。

 ライブの翌日、Iのmixiにメッセージが届いた。「Q-Chewsのリードボーカルやってはる方ですよね」からはじまるメールは、ベースのSの知り合いの20代の女性だった。
 「本当によかったです。みなさんの仲の良さとか、人間臭さとか、楽しそうでイキイキする姿に私たち3人は「ああいう年の重ね方したいよな」と語り合ったくらいです。もちろんサウンドも好みです。はっぴいえんどや吉田拓郎、それこそマージービート~メロディパンクの中間みたいな感じかなあ・・・」
 
 有頂天になったIがまた我を忘れて、夜の街に飛び出していったことは、間違いのないことである。DVDまでつくっちまった。馬鹿まるだしである。

 みなさん、ありがとうございました。
 夏前にはまたライブやります。よろしく!!

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# by mihira-ryosei | 2009-01-25 23:55 | Q-Chews

年末日記

 大晦日。いかがお過ごしでしょうか?

 本日、目覚めは10時頃。朝3時まで、DVDを見ていた。韓国ドラマ『第5共和国』。休みへの意気ごみから、10枚一括レンタルしてしまった。1月4日まで見なければならない。ちょっとしまった。内容はもの凄い。1979年朴大統領暗殺から、チョン・ドゥファンが軍事クーデターで政権を奪取し、大統領になって・・・という過程が、胸糞が悪くなるほど実にリアルに描いている。知らないことが多かった。

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 テレビのバラエティで、大阪に関するクイズをやっていたので、しばらく見る。今年は大阪によく行ったなあ。大阪人としての「民族意識」が覚醒された年のようだった。
 
 昨夜から居座っている屋根裏部屋で、ロジャーなんとかというアメリカおじさんのCDを聞きながら、ボイストレーニング。ライブまで2週間切った。

 CD「エッセンシャル レナード・バーンスタイン 指揮者編」を聴く。というより、「指揮」する。とても他人に見せられた姿ではないであろう。悦楽と怒り、愛と孤独・・・狂気のごとく「指揮」に取りつかれた姿は。演目は、「ショスタコービッチ交響曲5番」、「マーラー交響曲2番」。

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 シャワーを浴び、友人Tのスタジオに。二人でギターの弾きおさめ。やはり、バンドは二人ではさまにならない。アンプのボリュームをチェックしたり、ライブの参加状況を確認したり。40名の限界に迫っているとのこと。満員、だがしかし、幻滅と罵声の光景がよぎる。

 帰り、書店に寄る。『自壊する帝国』(佐藤優)、『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎)買う。今野敏を読みすぎた。

 帰宅して、テレビがフリーになっているのを幸い、DVD、『第5共和国』5枚目。チョン・ドゥファン、クーデター成功!ますます胸糞悪い。
 
 夕食後、屋根裏部屋に。
 バースタインのベートーベン全集。「田園」、「第九」。坐禅のようにして聴きいる。これは「浄化」なのだ。今年1年の。大変でした。いろいろ。いろいろ。あれこれ。あれこれ。
 ベートーベンのピアノソナタ。「29番 ハンマークラービア」。これは超絶技巧のピアノ曲。
締めは、「31番」。30年来、僕の最も愛するピアノ曲。ホントに心が洗われ、そして希望が見える曲だ。
 
 ブログを書いていたら、年が明けた。今年は良い年になりますように。

 
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*写真は、韓国の韓屋村の壁
# by mihira-ryosei | 2009-01-01 00:02 | よろずヨロカジ
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2002年の韓国映画。前科3犯、刑務所帰りの男と重度の脳性まひ障害の女との衝撃的恋愛映画である。ベネチィア映画祭でも各賞を受賞。特にヒロインを演じたムン・ソリは激賞された。この映画の監督は、イ・チャンドン。僕の知る韓国映画ファンがベスト1にあげることの多い作品「パッパーミント・キャンディー」の監督である。
気になっていた映画であったが、なんとなく重そうで敬遠していたが、最近ムン・ソリに魅了されたので、覚悟してDVDを購入した。

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なによりも、重度の障害者と半年共同生活をして形作られたムン・ソリの演技は、凄すぎる。また、障害者の意識、感覚を、彼女の演技と、光と影を巧みに表現する映像と、そして、幻想シーンによって見事に描いている。
男性役のソル・ギョングも、社会から疎外された危ない感じ、なにかしでかすぞとヒヤヒヤする感じが実に、リアルで、素晴らしい演技といえよう。韓国はほんとうにいい俳優がいるものだ。

とにかく見てほしい映画。もうなにもいいません。

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*イ・チャンドン監督とムン・ソリ
# by mihira-ryosei | 2008-12-28 18:19 | 映画・音楽

Q-Chews LIVE のお知らせ

 酔った勢いでお知らせします。Q-Chewsのライブ、やります。そんなもの好き、変わり者はなかなかいないと思うけど、来てくれる人は大歓迎です。
 
 ビートルズの曲1曲、オリジナル5曲、エルレガーデンの曲1曲、オーシャンレーンの曲1曲、同級生でCFディレクターN君の中学時代の曲を1曲をやる予定です。
 また、MOMOKO CLUB は、 Q-Chewsメンバーとこれまた中学の同級生MOMOKOのユニットで、アコースティックにこだわり、やわらかいサウンドをお届けします。曲はほとんどがオリジナルという大胆さ。
 
 メンバー全員が50の齢を迎えあるいは迎えつつあるなかで開催される、記念碑的ライブです。

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# by mihira-ryosei | 2008-12-17 00:22 | Q-Chews

とにかく空

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 昨日の夕方、オフィスの窓から見えた夕焼け。不安になるような美しさに幻惑されて、あわてて携帯電話のカメラで撮った。
 
# by mihira-ryosei | 2008-11-13 23:57 | よろずヨロカジ
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本当は行きたかった。国立へ。今年、トリニータのゲームは2試合見ているが、なんといっても特別の試合だ。しかし、仕事やなんやらで身動きがとれない。深夜、帰宅して、ビデオを見た時には、結果はわかっていた。でも、後半、高松の先制ゴールが決まって涙。終了間際、ウエズレイのだめ押しゴールが決まってまた涙。ブルーに染まった国立を見てさらに涙。ほとんど泣いていた。
 大分生活六年半。さまざまな縁から、このチームにすべてを捧げてがんばった人、応援した人を知っている。そんな人たちが浮かんできた。ほんとにおめでとう。
 九州初のタイトルというのも素晴らしい。これまで、野球も、サッカーも、楽しいことはほとんど、首都圏や関西圏に独占されていたのだから。日本ハムの優勝で北海道が湧いたように、大分の街も、今日は青の歓喜につつまれ、祝杯の声がこだましたことだろう。できれば、僕もそこにいたかった。
 新潟アルビレックスも頑張れ、楽天イーグルスも頑張れ、四国の独立リーグも頑張れ、地方をスポーツで元気にしようぜ!

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# by mihira-ryosei | 2008-11-02 03:38 | スポーツ
 今回も映画。しかも、韓国映画2作。どちらも、ムン・ソリという凄い女優が主演である。この女優のことを語る資格は、僕にはまだない。なにより「オアシス」を観ていない。「ペパーミント・キャンディー」、「大統領の理髪師」は観ていながら、彼女の存在を強く認識していない。でも、この2作で僕は、すっかりムン・ソリが大好きになってしまった。

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 「家族の誕生」は、オムニバス風に3つの物語を描きながら、最後に、「家族」を織り上げていく。家族は血のつながり、でも血のつながりとはなんだろう。他人は血がつながっていない。でも血がつながっていないとはどういうことだろう。人間として、ともに生き、ともに暮らすということと、家族であること、他人であることは、どう関係しているのだろう。姉(ムン・ソリ)と弟、弟の年増の愛人、弟の年増の愛人の元亭主と夫人の間に生まれた女の子。4人の物語。裕福な家庭を持つ男性の愛人であり、男の子を産みながら貧しい行商をしている母、その母に反発する娘、母の病死によって、残された男の子と娘。3人の物語。そして、大学生に成長した男の子と女の子が出合う恋の物語。ひとりひとりのキャラクターが実に面白い。それにしてもこの映画でも、韓国映画らしく、食べるシーンが多いこと、多いこと。泣きながら、笑いながら、怒りながら、沈黙しながら、孤独をかみしめながら、食べる、食べる。
 とっても素敵なラストあたりで、ムン・ソリのセリフがいい。
 「人生、なにがあっても、食べて、生きていくものなのよ」
 「家族の誕生」というタイトルは、ジンワリ深い。
 DVDのレンタル期間中、2回みた映画はこれがはじめてである。

 <監督 キム・テヨン 出演 コ・ドゥシム、ムン・ソリ、オム・テウン 2006年>

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 「私たちの生涯最高の瞬間」は、実話スポーツ物語。アテネオリンピックで銀メダルを獲得した韓国女子ハンドボールチームの物語である。「アジュマ」(おばさん)、古参の選手たちが、チームを再建していく話である。ここではムン・ソリは、国家代表選手としての栄光をもちながら、ダメ亭主に苦労する子連れ女性を演じている。借金を肩代わりしてくれるという誘いに、ふたたび選手として復帰する。それぞれのアジュマ達のふてぶてしい生きざま、友情がいい。
 <監督 イム・スンレ 出演 オム・テウン、ムン・ソリ、キム・ジョンウン 2007年>
 
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 どちらの映画も韓国人特有のむき出しの喜怒哀楽表現によって、対立・衝突・葛藤が圧倒的な迫力をもっており、そのことによってこそ、見事なドラマとして成立している。2作とも韓国映画としての魅力に溢れているといえよう。
# by mihira-ryosei | 2008-10-17 22:33 | 映画・音楽
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 阪神は、ほんとに負けてしまった。しばらくは、新聞も、テレビも見たくないというそんなあなたに・・・というわけではないのだけれど。
 今年観た映画の中で、もう一度みたい映画と言えば、これ。「ONCE ダブリンの街角で」かな。静かな映画。じんわりじんわり、いつのまにか心の中に棲みついて、今でも懐かしくなる。ついにサントラ盤を買ってしまった。
 この映画は、恋人と別れ、年老いた父親と掃除機の修理なんぞをしている、貧乏なストリートミュージシャンの男とチェコから移民してきた夫と別居中、貧乏生活なれど、ピアノを弾く子連れ女性との愛の物語である。彼女との出会い、ふれあいを通して、彼はストリートから仲間と彼女を伴ってスタジオに入り、1枚のアルバムをつくりあげ、ロンドンに旅立っていくという話。二人が過ごすシーンひとつひとつが、アイルランド・ダブリンの街角も自然に溶け込んで美しい。男性のオヤジ、英語の不自由な女性の母親、ストリートミュージシャンたち、移民労働者たち・・・・。この映画に登場する人物で、裕福そうな人はほとんどいない。しかしかれらが、風景の中で醸し出す穏やかさは何だろう。映画に浸っていたいと思わせるものは何だろう。

 なにより音楽がいい。歌がいい。主演の男性・グレン・ハンサーは、アイルランドの人気バンドThe Flamesのメンバー。ボディにまで穴のあいたオンボロのアコースティックギターを響かせながら歌う曲は、イケます。かっこいい。監督・脚本のジョン・カーニーもそのバンドのメンバーらしい。また、チェコ女性役のマルケタ・イルグロヴァもミュージシャン。彼女のピアノと歌声も、独特の陰影があって魅力的である。
 ぜひ、聴いてほしい。
# by mihira-ryosei | 2008-10-11 23:27 | 映画・音楽
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韓国にいったわけなんですね。着いた日の夜に大学の後輩たちとビヤホール。写真がなくて恐縮であるが、ホンデイック(公大入口)の「キャッスルプラハ」というチェコ料理のビヤホールだった。ちょうど、オリンピック・野球の決勝、韓国対キューバをやっていた。大変な騒ぎ。ところで、韓国が、金メダルをとってから言われている小話。「日本は野球場に水を溜めて水泳を教えればいいのだ。韓国はサッカー場に水を溜めて水泳を教えればいいのだ」と。でも日本はサッカーも負けたんだよな・・・。
 写真は、カンナムデロ(江南大路)のオープン間近のビルです。

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 時は1996年、韓国語短期留学の際、下宿近くにあった、ヘムルジャプタン(海物雑湯)、日本でいう海鮮チゲ鍋のことです。こんなうまい鍋があるのかと衝撃を受け、その後もことあるごとに食べに来ている。イデイック(梨大入口)、梨花女子大学に向かう地下鉄駅のある四つ角、大学側からだと、四つ角の左上にある公園の坂道を上がっていくとある。店の名前は「ミルリネヘムルタン」・・・だったか。これを超えるヘムルタンは未だかつて存在しない。断言する。ただ、今回物価高騰の折りか、やや盛りが低い感じはしたけど。海老、カニ、どっさりのカラス貝、ミドド(説明不能)、なんかわからん魚卵、なんかわからん貝、セリ(野菜)、うどんなどなど。コクのある、やや辛のスープ、思い出しても唾がでるよ。

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具をたいらげたあとは、出汁が蒸発しかかってテンテンになった鍋に、ご飯、刻んだセリ、海苔をごま油で炒める。ご飯を焦がしていただきます。
 「ヘムルタンの金メダルや~~~~。」

 電話 02-719-5113

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# by mihira-ryosei | 2008-08-30 23:39 | 韓国なんでも
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  DVDを借りにレンタル屋さんにいったとき、思わず携帯電話を向けてしまった。

  僕とおかんとォ・・・・ときどき黒木瞳かァ~、ついでに岡田准一はないやろォ~。

  東京タワーとTOKYO TOWERでした。

  DVDは4枚、借りました。今鑑賞中です。感想は後ほどにでも。
# by mihira-ryosei | 2008-08-20 00:17 | よろずヨロカジ
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 佐野眞一というノンフィクション作家の著書は、たくさん読んでいる。宮本常一と渋沢敬三を描いた『旅する巨人』、正力松太郎を描いた『巨怪伝』、『東電OL殺人事件』、『枢密院議長の日記』など、つまらなかったものはひとつもない。しかし、この本は特別の傑作だと思う。毎度のように、靖国神社に誰が行った、行かなかったという、のんべんだらりとした報道にふれ、中国でオリンピックが行われている8月15日に、甘粕正彦の生涯を考えてみるのは悪くないことだ。

 ただ、この大著、ページを折り込んだ箇所はたくさんあり、それらを書き写すのは大儀なので、序文からの一節のみを引用させてもらう。

 「しかし、私は東映のヤクザ映画にそれ以上のものを感じはじめていた。銀幕から伝わってくるこのデモニッシュな衝動は、一体どこからやってくるのか。それから間もなく。私は東映が、元憲兵大尉の甘粕正彦が理事長だった満映の残党たちによって戦後つくられた映画製作会社だと知ることになった。そういう目で東映ヤクザ映画を見直してみると、登場する男たちはみな満洲からやってきた流れ者の任侠の徒に見えたし、女たちは全員満州に女郎として売り飛ばされる薄幸な運命にあるように見えた。映画人たちの間で「義理欠く、恥かく、人情欠く」と陰口される東映の三角マークの裏側に隠された、えもいわれぬ快美感と、それとは裏腹の名状しがたい恐怖感には、“主義者殺し”の烙印を押されたまま自決した甘粕の無念と、満州の地平線に沈む血のような色をした大きな夕陽の追憶が、底知れないニヒリズムとなって照り返しているのではないか。妄想はそんなところにまで及んだ」
 この本は、甘粕正彦という日本の近代史において、最も謎の多い人物に迫ることをテーマとしている。一般的には、甘粕正彦は、関東大震災に乗じて、社会主義者の巨頭、大杉栄とその同棲相手伊藤野枝、大杉栄の甥・宗一少年を殺害した人物として、また、映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じていた満州帝国の大立者として、知られているのみであろう。
しかし、この本はそのような甘粕の人物像がいかに皮相なものであるのかを膨大な取材と資料によって明らかにしていく。
憲兵大尉・甘粕正彦の「主義者殺し」以前のことや「主義者殺し」事件自体についての検証、甘粕の服役生活と恩赦出獄、結婚とヨーロッパ留学を前半で、そして後半では、満州建国と甘粕の謀略活動、満映理事長就任、敗戦と自決までを描いている。

卓越した指導力、潔癖、公平無私、部下や周囲への常軌を逸した献身ぶり、帝国への忠誠、趣味は謀略、右翼も左翼も、何国人でも使いこなす度量、紳士、スタイリスト、希代の酒乱、彼らしい最後・・・・甘粕という人物の奥深さ、魔力に、わきあがるような感慨を覚えた。

そして、大日本帝国が生み出した、巨大な虚構としての満州帝国、まさにそれこそが、「乱心の曠野」なのだが、そこに吸引されていった人物の多彩さにも興味がつきない。帝国の興亡を現実に生きた人が、「その後」をどう生きたかも終章で活写されているが、それらを見るにつけ、歴史というのは途絶することがなく、どこかでつながり、形を変えて生き返っているような気がする。

 「甘粕正彦 乱心の曠野」 佐野眞一(新潮社)
# by mihira-ryosei | 2008-08-16 02:05 |
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高校時代から大学時代にかけて、高石友也とナターシャーセブンに傾倒していた。宵々山コンサート。今回,28回目のコンサートに行って、配布されていた歩みを、何度も見て、ようやく、第3回(1975年・高校2年)、第4回(1976年・高校3年)、第5回(1977年・大学1回生)、第6回(1978年・大学2回生)は行ったことを確信した。第7回(1979年・大学3回生)は行ったような、行ってないような・・・はっきりしない。
 しかも、始末の悪いことに、誰と行ったかについての記憶がない。唯一の明確な記憶は、1977年。大学1回生のとき、クラスの女子学生など何人かと行った。はりきって前日から並んだ。それにしても、他のコンサートは、誰と行ったかは覚えていない、誰と徹夜で並んだかは覚えていないが、桂米朝、木の実ナナ、初代高橋竹山、赤塚不二夫、黒柳徹子、ミヤコ蝶々・・・・名だたる芸達者の芸に驚嘆したことは覚えている。ナターシャセブンのサウンド、永六輔のパーソナリティー。素晴らしかった。魅了されていた。でも、就職して、いつしか、遠ざかっていった。
 コンサートは1986年から8年間の中断を経て、1994年から再びおこなわれるようになっていたようである。しかし、僕はこのコンサートが行われていることさえ知らなかった。喜納昌吉、モノノケサミット、トワ・エ・モア、桑名正博、有森裕子、上条恒彦などが出演していることを。
 去年、コンサートがいまだ行われていることを知ったが、終わったあとだった。だから、今年は行きたいと思っていた。

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 かつては徹夜で円山音楽堂を取り囲んでいた若者が、いっしょに年をとって集まってきたという感じだろうか。僕も含めてみんな老いていた。「後期高齢者」永六輔さんは、道で転んで歯を折ったとのことで、言語がおぼつかない。でも、黒柳徹子との「再婚ネタ」など、さすがの話芸だったが。ナターシャーセブンは、数々の不幸により、高石友也しかいない。でも驚くほど元気だった。それにしても、バンジョーも、フラットマンドリンの音色もないのは寂しい。
 72歳坂本スミ子は、元気な大阪のおばはんで、なおかつ艶があってよかった。だるま食堂もなかなか面白かった。無骨な笠木透も、才人・趙博も、はじめてで、新鮮だった。高石友也は、なんか、歌と語り、ギターと身振りが一体化して、音楽の仙人のようだった。行ってよかったと思う。でも、30年前の記憶からか、どこかでそのうちもっとすごいスペシャルゲストが出て来るぞと期待していた。桂米朝を拝めたのは望外だったけど、それでも、まだ誰かが・・・と。でも、暑さに耐えがたい中年たちの集団は、アンコールも、そこそこに音楽堂を後にしていった。宵々山コンサートは、このまま枯れていくのだろうか。世代を継ぐことなく。
 来年も行くだろうか。行くかも知れない。行くような気がする。でも、もっとたくさんの楽器の音色も聞きたいな。坂庭省吾のフラットマンドリンが、音楽堂の緑の大木に響いていた、爽快感をもう一度。

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# by mihira-ryosei | 2008-07-21 22:58 | 映画・音楽

dog ear 18 創氏改名

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               『創氏改名 -日本の朝鮮支配の中で』 (岩波新書) 水野直樹

 「創氏改名」とは何か。なにか、日本の朝鮮の植民地支配、民族同化政策というキイワードで、説明できた気になっていたが、はたしてどういうことだったのか。この本は、決してわかりやすい本ではない、かといって難解でもないけど・・・。押し付け的でもない。かといって軟弱ではないけど。とにかく、いろんなことを考えさせてくれる本である。
 著者の水野直樹氏、先生が大学院時代に、他大学生ながら卒論のアドバイスを受けた。今から30年近く前になる。


 もともと、朝鮮を強権支配していた日本は、朝鮮人に多くの制限を課していたが、もともと、姓名についても、日本人化をしようなどとは思っていなかった。名前までいっしょになったら、日本人と区別がつかなくなるから。特に警察が反対していた。しかし、姓を変えることは、天皇制国家にとっては必須のテーマとなっていった。

第1章 創氏改名まで

 第一に、ハングルで姓名を登録することが認められなかった。・・・第二に、朝鮮語の固有語彙で名を付けることが制限された。・・・・第三に―これが創氏改名との関連でもっとも重要な問題である―、朝鮮人が日本人風の声明を名乗ること(民籍・戸籍に登録すること)を禁じる政策をとったことである。・・・肌の色、顔つきで区別できず、ことばや服装が同じようになった場合、日本人と朝鮮人を区別する手がかりがなくなってしまう―総督府が恐れたのはこれであった。・・・「内地人に紛らわしい姓名」に改めることは禁止されることになった。・・・このように、併合直後、「名前の差異化」政策がとられ、それが創氏改名にいたるまで変わることがなかったのである。

 ・・・異姓養子(姓の異なる者を養子とする)を認めないこと、姓は不変であること、同本同姓婚(本貫・姓を同じくする男女の成婚)を認めないことなどが朝鮮の慣習とされ、「両班的」というべき家族・親族制度が維持されることになった。しかし、総督府は男系血統にもとづく宗族集団の存在を植民地支配にとって不都合なものと考えていた。なぜなら、天皇を宗家とし、その下に臣民である家長の率いる各家が分家として存在すると観念されていた日本の国家・社会体制と違って、朝鮮社会に強固な宗族集団が存在することは、天皇の名による植民地支配を不安定なものにしかねない、という認識があったからである。
 ・・・朝鮮人を「血族中心主義」から脱却させて「天皇を中心とする国体」の観念、「皇室中心主義」を植え付けること―これが創氏の真のねらいだったのである。・・・「内地人風の氏」へと誘導する仕組みが準備された。・・・法令で規定されていた氏設定にかかわる制限は、歴代天皇の諱・名、朝鮮の他の姓を付けてはならないというものだけであった。しかし、総督府は、法令の解釈によってさまざまな制限を設けた。たとえば、夫婦の姓を合わせた二字の氏(朴李、金梁など)、姓に日本人風の苗字を付け加えた氏(中村金、井上朴など)は、受け付けないとした。・・・さらに総督府は二字からなる氏が「日本人風」であると奨励したため、実質的に新たな氏として認められるものは、「二字からなる日本人風の苗字」へと狭められることになった


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第2章 創氏実施と強制の実態

 中には、創氏をした生徒には胸に「創氏札」をつけさせるという学校まであらわれた。・・・同校では七割の生徒が「創氏改名」したとされるが(ただし改名率がこれほど高いとは思えない)、それら生徒の胸に「新しい名を書いた札をぶら下げさせている」、それは「新しい名を忘れ勝ちな爺さん、婆さんや近所隣りの者に覚えさせ、合わせて創氏の普及に協力」するためだと伝えられる。
 

 檜山さん、「犬の子」を名前にしようとは、なんたる創氏、痛烈な皮肉、さすが、檜山!!背番号24とは関係ないと思うけど。

第3章 批判・抵抗と取締り

 慶尚南道東莱邑の檜山錫斗(朝鮮名不明、製棺業・五四歳)は、「昭和十七年十一月二日釜山府寿町福成旅館庭先に於いて金光今述外二名に対し、『一昨年自分は犬の子と創氏して  
東莱副邑長に書類を差し出したら、何故犬の子と創氏するかと理由を問うので、自分は朝鮮人は変姓せば犬の子、牛の子といわれるから、創氏は変姓であるから犬の子と創氏したと答えたら、副邑長は自分を叱り、若し斯様な事を警察に知られたら貴殿は処罰されるから改めて届け出よと云われ、檜山と創氏したが、朝鮮人は存在がない』と放言」したとして、懲役六ヵ月の判決を受けた。

 創氏改名の持つ矛盾は、「差異」と「同化」を両方追求しなければならない矛盾であろう。

第4章 創氏改名における差異化

 ・・・朝鮮人を同化すべきことは疑いの余地がないが、朝鮮人に日本の名字を名乗らせることは国体の原理である名字を単なる「符牒」に過ぎないものとして軽侮する思想を広め、国体に深刻な損害を与えることになる。では、どうすればよいか。朝鮮人に「内地の姓」を認めるのは「内地人」と結婚した場合に限るべきであり、「濫りに外藩に名字を濫与」することは避けるべきである。しかし、「半島統治の必要」を顧慮するなら、朝鮮人に「日本式なる姓氏にして、しかも未だ嘗て、内地に存在せざりしもの」、たとえば、金氏なら、「金寺、金水、金月」などを用いさせるようにすればよい―これが古谷の主張である。

 総督府は、氏の設定届出をさせるために強圧手段をとったが、それに比べると改名については放任する態度をとったばかりか、むしろ消極的な姿勢を示した。・・・「個人の個性」を尊重するといいながら、実は朝鮮人であることを表す名のままにしておくのがよいと考えていたのであろう。


第5章 創氏改名の諸相

 朝鮮YMCA会長であり資産家でもあった尹致昊(ユンチホ)は、一九三八年に国民精神総動員朝鮮連盟常務理事に就任し、総督府に全面協力する姿勢を示していた。・・・尹は、(日記で)「日本がなりたいと思っている大帝国は必ず多くの人種で構成されるべきものである。彼らにすべての点でまったく同じようになれと強要することは、馬鹿げた不可能な政策である」・・・と書いて、総督府のやり方を厳しく批判している。

第6章 創氏改名がのこしたもの

 京畿道警察部長は・・・会社・銀行などでは仕事中や日本人と話すとき以外は旧氏名を使用することを常とし、郡部に於いて特に其の傾向甚だし」いことを明らかにしている。創氏改名をした者で、新氏名だけの標札を掲げるものは、「殆ど稀にして、大多数は新旧両名を併用」している。新氏名を使う者が都会地に多いのに対して、郡部で少ないのは、標札をつくる資力がないこと、「文盲」が多いことの証左である。


 2週間前に、父が亡くなりました。この本は、父が亡くなる直前に読み終えたものです。なんというか、写経のようなつもりで、ページの折り目の文書を書き写しました
# by mihira-ryosei | 2008-07-07 00:00 |