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オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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祇園新橋に「初桜」 

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 もう桜が咲いているんだ。なんかこんな早く開花されてしまうと、春がさっときて、さっと行ってしまうような不安な気持ちになるよ。
 祇園・新橋。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-18 00:08 | 京都なんでも

マンデラの名もなき看守

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 インビクタス」を観てからというもの、僕の中の「マンデラ振動」が止まらない。お風呂で、「コシシケレリ アフリカ」を放歌することが増えた。夜中は小声でやっているが。「マンデラ」で検索して、音楽CDも申し込んだ。DVDも借りてきた。

「マンデラの名もなき看守」である。2007年、マンデラの生誕90年を記念して制作された映画である。なぜか、ドイツ、ベルギー、イタリア、南アフリカ合作である。実話という。

マンデラの獄中生活は実に27年に及んだ。看守にとって、一級の「国家的犯罪者」であるマンデラを担当することは、さぞかし、名誉なことなのだろう。そして、マンデラをとことん「かわいがる」ことで、役目を果たしていったのだろう。ところが、この映画に登場する「名もなき」看守は、弁護士でもあったマンデラから告訴されなかった唯一の看守なのである。彼も、もともとはごく普通の軍人でマンデラを白人国歌の天敵と信じていたのだが、幼い時に黒人の友達がいたことなどもあって、本当のマンデラを知ってしまうのである。
そこから彼と彼の家族の数奇な運命が展開する。時代は、そもそもありえないアパルトヘイト体制がようやく、徐々に終焉へと向かう過程にあり、映画の中でも、白人と黒人、大統領とマンデラ、看守と黒人の政治犯の立場が、変化していく様が面白い。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-07 23:17 | 映画・音楽

インビクタス

 
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 上映中、だらしないことに涙を流し続けていた。
 哀しい映画ではないのだが、涙をぬぐい続けていた。
 南アフリカ共和国。かつてアパルトヘイト(人種隔離政策)のもと、少数の白人が圧倒的多数の黒人を支配していた。世界中で、闘いが繰り広げられた。ちっぽけだけど、確かに僕もその中にいた。
獄中に27年間もの間、つながれていた指導者ネルソン・マンデラが釈放されたのは、1990年2月11日。この映画の始まりである。

僕はその年の10月の終わりに、東京のニューオータニホテルで、ネルソン・マンデラに会って、握手をした。そのあと、いっしょにいったメンバーたちと茫然と酒をのみ、最終の新幹線に乗り遅れ、翌日の始発で京都に帰り、出勤したのを思い出した。当時、マンデラを指導者としていたANC(アフリカ民族会議、後に政権与党となるが)のミュージカルグループAMANDLAの日本縦断公演の京都会場の事務局をしていた。ネルソン・マンデラに会ったのが京都公演の前だったか、後だったか思いだせないが、たぶん、後かな、とにかく、京都公演は、府立体育館を満員にして、AMANDLAの歴史上最大規模のものになったので、それで、お呼ばれがあったのかも知れない。

この映画でもたびたび登場する歌、「NKOSI SIKELE AFRICA」(コシシケレリ アフリカ)、南アフリカをはじめ多くのアフリカの国で国歌になっている。アマンドラ公演の数年前、映画「遠い夜明け」でこの曲に出会い、映画以上に衝撃を受け、もちろんAMANDLAの公演にいたるとりくみにおいてもよく歌った。この世で、もっとも崇高で、荘厳で、美しくて、力強くて、心を揺さぶる曲だと、僕は思う。だから、この曲を聴くだけで涙が流れてしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=H8iZ8jIqrQo

映画は、とにかく観てほしい。おもしろいから。

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# by mihira-ryosei | 2010-03-01 00:40 | 映画・音楽

コムタンの奇跡

コムタンの奇跡 ―本当にあった話―

 2010年2月13日、土曜日。ソウルでの仕事を終え、夕方の便で帰国することになっていた。午前はホテルでまどろみ、起きだし、シャワーを浴び、ネットをチェック、バンクーバーオリンピックの開会式を横目に見ながら、荷造りをした。チェックアウトして、ベルデスクに荷物を預け、外に出る。水曜日の深夜にソウルに入ってから、雪の多い、曇りがちの天気だったが、初めて晴天だ。車が少なく、町はいつもの喧騒が嘘のようにひっそりとしている。明日からソルラル、つまりお正月なのだ。韓国は今日、大晦日みたいなものだ。
 コムタンが食べたい。朝飯の抜きのおっさんが、コムタンを求めてソウルを歩いている。コムタンとは、あっさりした牛の臓物のスープである。なかなかみつからないので、遂にタクシーに乗った。
「明洞(ミョンドン)にある有名なコムタンの店知りませんか?この間行ったんだけど、名前を忘れて、場所もよく覚えていないのです」
 祈るような思いで、運転手に問いかけた。
「・・・・、知らないなあ」
 なんか、無愛想な奴だ。
「コムタンが食べたくて・・・・」
「コムタンねえ・・・・・」
 どうも、やる気なさそうだ。だめかな。
「あっ、思い出した!河東館(ハドングヮン)だ。ハドングヮン!」
 思わず、声量が上がった。これでわかるかも・・・・。しかし、運転手は無反応、知らないみたいだ。
「テレビにもよくでるし、食客というドラマにもでたんだけどなあ・・・・」と追加情報を提供しても、だめだ・・・。
 ところが、運転手が突然、信号停止でカーナビを操作しはじめた。ハ、ドン、グヮンとハングルで入力している。でも見つからない。信号に停止するたび、運転手は検索を続けた。俄然誠意を感じた。しかし、見つからない。
 そうこうするうちに、ミョンドンについてしまった。
 まあ降りるしかない。でも、見つける自信はない。そんな僕の心を察してか、そもそもコムタンに固執するおっさんがアホに思えたか、運転手は言う。
「ここには食べるところがいっぱいあるじゃないか。アンドンチムタックとか・・」
「いいや僕はコムタンが食べたい」
「カムジャタンもあるし・・・」
「コムタン!ナン コムタン モッコシッポ!(僕はコムタンが食べたい)。ここで降りるよ」
 
 仕方ない。探すんだ。悲壮な決意でタクシーを降りたそのとき、奇跡がおこった。タクシーを降りたところが、なんと、河東館(ハドングヮン)の真ん前だったのだ。
 うれしさのあまり、僕は、タクシーのフロントガラスを叩いた。漢字で書かれた看板を力いっぱい指さした。
 運転手も、看板を確認して、ニッコリほほ笑んだ。林家正蔵に似ている。
 僕は右手でガッツポーズ。それに、運転手は右の親指をぐいと突き立てて、応えた。
 
 コムタンがいつもよりおいしく、味わえたのはいうまでもないことだ。

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# by mihira-ryosei | 2010-02-14 00:14 | 韓国なんでも
  
Hey Hey We're The Q-Chews 、「感動と興奮」のライブが終わった。去年の1月、7月に続いて3回目のライブとなったが、今回は過去最高の53名のお客さんに聴いていただいた。出番前は、「前座」のバンド、Black Box, Weird Duck etc が、うまくてかっこよくて、「ほんまにライブになってしまってる!」とおろおろしていた。僕たちの直前を務めてくれた、中島信也君(CFディレクター)が絶妙のトークと歌で、ややムードをオヤジ風にしてくれはしたが。その模様は、Q-Chewsブログでおいおい報告するとして、とにかく、なんとかかんとか、やった。反省は数限りないけれど、一番手ごたえのあったライブになった。打ち上げは、居酒屋で33名で、二次会は、いうまでもなく、椿やに繰り出して、韓国語表現でいう「フィルムが切れた」状態で、朝4時に帰宅。頭痛、倦怠感、虚脱感、筋肉痛・・・、目を覚ました午後は、ただただぼんやりしていた。

 一瞬、ふと、頭をよぎった映画のポスター。おととい見たポスター、「牛の鈴音」。なんか魅かれるものがあり、行ってみようと思っていたのだ。重い体で、京都シネマに向かった。


今から宣言、2010年の映画ベストワン 牛の鈴音_e0065380_22312111.jpg


 韓国のドキュメンタリー映画である。老人夫婦と老耕作牛の奇跡のような話。終わってからしばらくは席を立ちたくなかった。余韻に浸りたい、そう思わせてくれる映画に出会ったのは何年振りだろうか。心に沁みた。
子供のころ左足を悪くし、つえなしで歩けないのに、機械も農薬も拒否する頑固なおじいさん。年をとって、血圧も高く、頭痛に悩まされている。その農業を支えてきたのが、40年も生きたおばあさん牛。そのおかげで、9人の子供も育っていった。おじいさんは「人間より大切」と牛のために、飼料はつかわず、毎日、頭痛をこらえ、野良を這いずりながら、草を刈り続ける。「人間の」おばあさんがいい。頑固な夫、貧乏な生活、自分より牛を大切にする夫へのぼやき、愚痴、自らのパルチャ(運命)を恨むその言葉が、傑作だ。ときには、「メス」として牛へのヤキモチかなともおもえる言葉も飛び出す。その牛がいよいよ寿命だ。15年から20年といわれる牛の寿命からみれば大変な長生きだけれど。牛の死をめぐって、映画は展開する。
 また、老夫婦と牛をめぐる風景が痛いほど美しい。
 あ~、いい映画だったなあ。
# by mihira-ryosei | 2010-01-11 22:50 | 映画・音楽