オギヨディオラは韓国の舟漕ぎの掛け声。1958年生まれのオヤジが趣味という数々の島々をたゆたいながら人生の黄昏に向かっていく


by mihira-ryosei
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dog ear 10 東と西の語る日本の歴史 網野善彦

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 エスカレーター、立つ人と歩く人は、左右どちら側なのか。東京人は左側に立ち、大阪人は右側に立つというのが通説である。京都人はいたって中途半端で、どちらとも言いかねる。大阪に行くと見事に右側に立っているので、よしよしと思う。京都はその都度違う。この間、前の人たちは左側に立っていたが、僕が右側に立つと後の人たちは右側に立った。節操のない話である。エスカレーターのことは、よく東西の文化の違いとして例に出されるが、どこまで根深いものかよくわからない。全国的には東京と同じ左立ちであるようだ。一説によれば、大阪では万博のときに「国際基準」に合わせて右側に立つことにして以来という。本当に国際基準かどうかは怪しいものだが、韓国の百貨店ではみんな確かに右側に立っていた。ロンドンもパリも右側らしい。
 それしても、東西文化比較は実に面白いものである。肉ジャガに入れるのは東は豚で西は牛、東は豚まん西は肉まん、東はおにぎり西はおむすび、東はマックで西はマクド、東はバカで西はアホ、東はかつおで西はこんぶ、地名で谷を「ヤ」と読むのが東で「タニ」と読むのが西・・・・食べ物が多いけど、とにかくその差異についての材料には事欠かない。

 この東西の文化の違いを極めて真面目に学術的に研究した本が、『東と西の語る日本の歴史』である。著者は、網野善彦。中世史の視座から日本史の通説を次々と覆し、ダイナミックな歴史観をつくりあげた大学者である。だから単なるうんちく本ではない。
 この本の目的は、日本人は単一民族であるという強固な通念を打破することにある。この通念が、沖縄・アイヌ、朝鮮人、被差別部落民へのゆがんだ見方につながっている。したがって、(単一化しているとされてきた)「日本列島の東と西に生きた人びとの生活、文化、社会の違いに注目し、その差異が歴史の中にどのような作用を及ぼしてきたかを」明らかにするために、東西文化について、スケールの大きい根本的な検討をおこなったのがこの本である。
 考古学的にはなんと二万年前から東西間には差異が認められ、東西方言の対立は一千年以上前からなのだ。東西間の人口移動は現代に至っても僅少であり、そのことは方言のみならず、拒否的条件として習俗の相違があるのではないかと著者は述べる。宮本常一などの研究成果をもとに、産後の胎盤の埋め方は東が戸口西が縁の下、東のイロリ西のカマド、東のはかま西のふんどし、東の湯西の風呂などの例が次々とあげられる。最も根本的な問題としては、西の稲作、西から伝播した稲作を拒否し畠作文化を形成した東というテーマが、東の家父長制、イエ社会、主従制と西の母系的、ムラ、年齢階梯的、座的という社会構造の土台にかかわる差異につながっていく。これらのことを底流に、古代から江戸にいたる日本の歴史が再構成される。古代における西の船と東の馬、西の藤原純友と東の平将門、東国(武家)国家と西国(天皇)国家の対立、東国と九州、西国と東北という両タッグの政治力学を形作った平安末期の「太平記」時代、さらに朝鮮半島など東アジアの歴史も絡んできて、豚まんと肉まん話がここまで来るかというほど、深い、深い展開になる。
 難しいところは遠慮なくとばしてパラパラ読んでも十分読み応えがある。きわめて高度なうんちく本といえないこともない。

『東と西の語る日本の歴史』 網野善彦(講談社学術文庫)
by mihira-ryosei | 2006-04-01 23:48 |