近所の観光 岩倉-紅葉の実相院、岩倉具視旧邸
2006年 11月 25日

レンタルDVD(「寝ずの番」)を借りたついでに、紅葉を楽しむために、近所の岩倉・実相院をのぞいてみようと向かった。ところが、駐車場の空きを待つ車が行列、それに恐れをなして自宅に退散した。自転車で出直すことにする。買ったばかりのデジタル・オーディオ・プレイヤーがお供である。今回は、ビートルズの「リボルバー」、鬼束ちひろの「インソムニア」を聴いた。
自宅から10分ほどで着いてしまう。大変な人出、観光バスも乗りつけてくる。確かに、紅葉はたくさんある。ちょっぴり最盛期を過ぎたくらいだろうか。美しさからいえば、お寺の前の公園のほうが上だ。それでもたくさんの人、みんな懸命にデジカメか、携帯電話を向けている。錦秋京

都の風情なんてあったものじゃない。かくして、僕もあさましく、デジカメと携帯を使いまくった。この小さなお寺、初めて来たのだが、観光のピークを避ければ、ぜひともゆっくりと訪れたいところである。狩野派の襖絵がふんだんにある。また襖絵の向こうにひろがる赤や緑のもみじを映す「床もみじ」も美しい。春は桜もいいだろうな。秋の観光シーズンにあわせてやっていた展示で、昭和天皇の幼児期の軍服が陳列してあり、面白かった。

お寺をでてから、すぐ近くの岩倉具視幽棲旧邸に立ち寄る。紅葉と違って、歴史ともなるとさすがに人影は多くない。岩倉具視は、幕末・維新史の好きな人なら誰でも知っていると思う。もとはといえばこの貧乏公家は、公武合体派から討幕派へと宗旨を巧みに変えながら、明治維新の中心人物となった。遣欧使節の団長としても有名であり、維新政府の右大臣も勤めている。坂本竜馬や西郷隆盛などの「スター俳優」とは異なり、地味である。役者というより、脚

本家・演出家に近いのかもしれず、歴史の裏舞台で権謀術数の限りを尽くしていたという印象が強い。この旧邸は、岩倉が1862年から1867年まで、幕末維新をめぐる最も激烈な時期に幽棲したところである。38歳から43歳までの間、脂の乗り切った岩倉が、陰謀を練りに練っていた場所なのだ。写真のガラス障子は大宮御所からもらってきたものだという。この当時の岩倉村は京都の中心部からだと、徒歩で行けば片道でも半日仕事だったろう。岩倉と密議するために、坂本竜馬が、中岡慎太郎が、大久保利通が、遠い道のりも厭わず、訪れたのである。岩倉具視、賭場を開くなど破天荒なこともやったユニークな公家で、おそらくとんでもない大胆な陰謀を仕掛けていた人に違いない。

岩倉の最後は、一条山。かつて「モヒカン山」として、景観をめぐる住民運動を象徴するものだった。なんかまだ、ヤンキースタイルやね。
